☆感情を価値判断しない
生活の発見誌10月号に「生き生き森田ワークショップ」の学習内容ついて書いてあります。ある方が「今日ゴミ出しをした時に人に合わなかったからよかった」といわれた。たぶんこの方は女性なのかもしれませんね。これを聞いた男性のAさん曰く。私なら「人に合うのは嫌だという感情はそのままにして、ゴミ出しをするという目的を果たせたのが良かった」と答えていたでしょう。これはまさしく森田理論学習をした人の模範解答のようですね。ここから、森田理論を深めておられるのが素晴らしいと思います。さて、ゴミ出しをされた女性の人は多分化粧をされていなかったのでしょう。だからだれにも会いたくない。女性なら当然そうですね。結果として人に合わなかったからうれしかったのです。素直です。この方の良いところは、沸き起こってきた感情に対して、是非善悪の価値判断をされていません。沸き起こってきた感情をそのまま味わっておられます。普通は沸き起こった感情に対して是非善悪の価値判断をしてしまいます。うれしい感情はあってもよいが、不快な感情や醜い感情、自分が感じたくない感情は沸き起こってはいけないなどと。本来感情は自然現象ですから、よいも悪いもないものです。したがってどんな醜悪な感情が沸き起こっても責任を負う必要のないものです。この文章を書かれたAさんは、人に合うのが嫌だという感情をそのままにして放置するといわれています。ということは、感情を是非善悪で選別しているということです。この感情は良い悪いでいうと、どちらかというと悪い感情だけれども、森田理論学習ではそのまま受け入れなさいと言われている。だからセオリー通り受け入れます。感情に対して是非善悪の価値判断はしましたが、そこを押しとどめて森田理論に従いました。何でもないことのようですが、ここが問題です。価値判断をするということが習慣になっているということが問題なのです。感情はそのままにしてゴミ出しという「なすべきをなす」という行動に手を付けました。それこそが神経症を治す正攻法だと教えられているからです。感情はそのままにして、本来の「なすべきをなす」という行動はそれでよいのです。特に森田学習に取り組み始めたばかりの人はそれでよいのです。ところがいつまでも感情に対して良いとか悪いとかの価値判断をしていては困るのです。ここで問題になるのは、感情をいかようにもコントロールしようとしているその態度が問題であるということです。どんな感情でも空に放された風船のように風の向くままに流れていく状態がよいのです。それを強いて抑え込もうとすると、風船は簡単に破裂してしまうことがあるのです。自然現象である感情はあるがままに認めて受け入れる。服従していくという態度が目指すべき方向です。