欲望の暴走を止める
人間の欲望にはいろんなものがあります。ざっと挙げただけでも物欲、財欲、金銭欲、性欲、食欲、飲酒欲、名誉欲、出世欲、権力欲、独占欲、所有欲、睡眠欲、知識欲、完全欲、自己顕示欲、向上欲、自己実現欲、健康欲、生存欲、等があります。森田で言う生の欲望というのは、知識欲、向上欲、自己実現欲、健康欲、生存欲等のことを言っているのでしょうか。これらの欲望の実現に取り組むことによって、意欲を持ったり、やる気を持たせたりすることができます。欲望はなくてはならないものです。欲望のない人は無欲の人であり、無欲の人に生きる力は湧いてきません。でも過度の欲望の追求が過去に人間同士の争いをひき起こしました。人間を不幸に落としているのも過度な欲望の追求です。森田では欲望は必要不可欠のものであるが、欲望の暴走を阻止することは極めて大切だといっております。今日は欲望をどこまでも追い求めていくとどうなるのかについて考えてみたいと思います。1、 欲望は抑制しないと際限なく追い求めていってしまう。こういう状態は「妄執」とか「慳貪」(けんどん)といいます。他を顧みない自己中心的な欲望の追求は醜いものです。これはブレーキの効かない自動車に乗っているようなものです。安全運転は不可能です。いずれ事故を起こすことは目に見えています。これは人生を心豊かに味わい深くしたいという本来の目的を忘れて、欲望の実現そのものが目的にすり変わってしまったのです。経済学者は経済成長率が永遠に上昇してゆかないと日本が沈没してしまうかのようにいいます。我々はその考えに洗脳されてしまい、疑いさえもなくなってしまいました。成長神話というのは間違いないのでしょうか。私は違うような気がするのです。これは神経質でいえば強い生の欲望の発揮を忘れて、不安を取り去ることが目的になっている事と同じことだと思います。2、 欲望のあくなき追求は加速度がついてくる。森田の感情の法則の3に、「感情は同一の感覚に慣れるに従って、鈍くなり不感となるものである」とあります。欲望の追求も同じことが言えます。薬物、アルコール、浪費、美食過食、ネットゲーム、金銭欲等はそれを追い求めていくと、しだいに快感や刺激が薄らいできます。もっと強い刺激を求めないと以前の喜びは得られなくなってしまうのです。しだいに使用量や回数を増やして、以前と同様の快感や刺激を得ようとするのです。最後には加速度がついて、止めようとしても止まらなくなります。行き着くところまで突っ走ることになります。悲惨な結果が待っています。3、 欲望を追い求めていると失うものがたくさんある。他人への思いやり、分かち合い、人間愛、尊敬と譲り合い、心身の健康、物を大切にする心、小さなことを喜べる感受性、生の喜び、他人への感謝等。欲望への追求に偏ってくるとなんでもない日々の生活がつまらなくなってきます。人生のだいご味は、普段の日常生活の中でささやかな楽しみや喜びを数多く体験することにあるのではないでしょうか。欲望の追求と他人への感謝は相対関係にあります。つまり欲望が強いと感謝の気持ちは小さくなり、欲望が小さいと感謝の気持ちは強くなります。このように弊害がたくさんあるにもかかわらず欲望の暴走が止まりません。暴走を止めるためにはどうしたらよいのか。森田では欲望はほどほどに抑えることをお勧めしています。そのためには強い意志が必要です。森田理論学習によって欲望とその制御についてしっかりと学習していく。そしてバランス感覚を体得していくことです。欲望の暴走する場には身をさらさないのも一つの手です。次に欲望の充足は60%から80%満たされればOKという気持ちで生活することです。そのためには欲望の充足よりも制御することを先に考える。欲望には衝動的にすぐには飛びつかない。どうしても必要なものかどうかじっくり考えてみる。制御機能を働かせることによって欲望の暴走はある程度は抑えられるのではないでしょうか。私はそれを宴会の席で応用しています。最初のビールは多くの人が飲み干すまで待つことにしています。その間は料理を食べたり、我慢しています。そしてみんながお代わりをする頃から呑み始めるようにしております。すると不思議なことに、二日酔いで次の日が無駄になるという事は無くなりました。欲望を制御しながら生活することは難しいことですが、なんか満ち足りた持ちになることができます。