欲望の暴走と不安へのとらわれの関係
バスや電車内で痴漢行為をする人がいる。本来いくら欲情してもよいと思う。その状態が人間の自然な姿であると思う。かえってその欲望が強いほど生命力にあふれているといえる。森田先生も本能的な欲望は大きければ大きいほどよいといわれている。だが普通の人は欲情のままに行動することはめったにない。それを押しとどめる抑制力が備わっているからである。森田先生も、欲望と同時に抑制力も同じ程度に働かなくてはいけないといわれている。つまり欲望と抑制力のバランス、調和がとれていることは極めて大事なことです。森田ではこのことを精神拮抗作用という。精神拮抗作用は元々人間にそなわっている。痴漢行為をすると軽蔑される。警察に逮捕される。さらに新聞やテレビで放映されてしまうと、一挙に自分の生活を破綻させてしまう。それだけではない。家族や親せきにも多大な迷惑をかけてしまう。あとでいくら後悔してもあとの祭りである。そういう感情が歯止めとなって破滅的行動を抑制しているのである。欲望と制御のバランスがとれていると社会的に問題に発展することはない。幼児の場合は抑制力が育っていないので、本能のおもむくままに自己中心的に行動してしまう。しかし大人になってもそのような状態では社会適応することが難しい。それを司っているのは眼窩前頭葉皮質であるといわれている。これがしだいに発達すると抑制力として機能してくるのだ。痴漢行為をする人は、その眼窩前頭葉皮質が機能不全を起こしている。幼児期、過保護でやりたい放題で、王子様お姫様状態で育った人などはまともな成長が阻害されている。最近はそうした人が増えてきている。いざという時に抑制力がほとんど機能しないのである。性欲以外にも、アルコール、ギャンブル、ネットゲーム、買い物、過食などの欲望に対して制御機能を失ってしまっている人が増えてきた。こういう人はそういう傾向があると自覚することが大切である。そういうものには最初から決して近づかない。一度でも近づくとずるずると深みにはまってしまう。そして自分の生活を破壊してしまう。そういう場面はできるだけ避けるようにしなといけない。あるいはあらかじめ人に制御してもらうように頼んでおく。普段から自助グループに参加して学習を積み重ねる。普段からこれらの手立てをしておくことである。このように欲望の暴走が起きやすい人は、もう一方では容易に神経症になりやすい傾向がある。それはどうしてか。欲望の制御機能を失っている人は、もう一方で不安や恐怖の対応力を失い、容易に増悪させやすい人でもあるからだ。つまり不快な感情に対しても制御機能を失っているのである。不安を抱えたまま行動をするということが困難な人たちである。目盛が欲望の暴走で振り切れてしまう人は、もう一方で不安や恐怖に取りつかれると、容易に反対方向にも針が振り切れてしまうのである。欲望の暴走が起きやすい人は、不安に翻弄されて生活が破壊されてしまっている人だともいえる。二重の苦しみを抱えやすい人だと言えるのです。ですから、欲望の暴走を抑えることと、不安にとりつかれて神経症になることは同時に治す必要があるし、それが可能であるということでもある。つまり精神拮抗作用、分かりやすくいうとバランス、調和を取り戻すための学習と生活態度の修正である。本丸に直接切り込むのではなく、欲望と不安のバランスの回復という視点からアプローチしていくのである。神経症からの回復はそれだけではないがこれが有力な手段となる。これには森田理論の欲望と不安の単元が役に立つと思う。