幼弱性の打破について
一昔前の理論学習では幼弱性の打破ということが言われた。神経症に陥っている人には、この幼弱性がきわだっている。生活面に特徴的に現れます。これには3つある。観念的である。自己中心的である。依存的である。観念的というのは、現実、事実を無視して「かくあるべし」で対処しようという生活態度のことである。神経症の発症の大きな原因になります。事実を無視するといえば、事実をよく把握しないうちに是非善悪の価値判断をすることもあります。森田理論学習では、是非善悪の価値判断は自分や他人を苦しめるだけだと学びました。この学習と克服は森田理論学習の大きなテーマとなっています。自己中心的というのは、自分勝手な態度であり、いつも自分のことばかり、あるいは自分中心に物事を考えています。自己中心的な人は、他者を支配したいという欲望が強い人です。自己中心的な人は相手が自分の考えているように行動してくれないとすぐにひねくれてしまいます。他者から見るととてもわがままに見えて付き合いづらい人です。最後には周りの人は距離を置くようになります。そして本人は孤独に苦しむようになります。森田では自分の意思、気持ち、欲望を第一に押し出すということを大事にします。そして次に相手の意思、気持ち、欲望を聞いてみる。確かめる作業がかかせないといいます。普通は不一致のことが多いわけですから、それらを調整して妥協点を見つけるという作業が必要になります。自己中心的な人は自分の意思、気持ち、欲望を押しだすばかりで、他人への配慮はあまりありません。一歩も譲らないのです。すると暴言を吐いたり、暴力で相手を打ち負かすか、反対にしぶしぶ相手に服従してしまうかのどちらかになります。これらは子どものけんかと一緒です。子どもはすぐに仲直り出来ますが、大人の場合は容易なことではありません。依存性というのは自分の出来ることややらなければならないことを他人任せにするということです。それらを他人が肩代わりしてくれれば自分は楽ができます。テレビを見たり、レジャーを楽しんだり好きなことができます。また何も考えなくてすみます。エネルギーを使わなくてすみます。子どもを過保護に育てるということは、まさにこのような依存性の強い子どもを作りだすということです。これは一見すると、人間の生き方として自然の流れのように見えます。つまり日常茶飯事に出来るだけ手を抜く。お金を出して本来自分のなすべきことを他人に依存する。そして浮いた時間で生活をもっともっと楽しむ。でもこれは本末転倒だと思います。人間の幸せというのは、日常生活を無視していては決して訪れることはない。日々の生活の中で衣食住の必要なことに自分で取り組んでいく。そこに気づきや発見、他者との交流が生まれる。しだいに生きる欲望ややる気、意欲が出てくる。これが味わい深い人生を送ることにつながります。ですから依存性を打破して、自分のことは自分でするという原点回帰がとても大切だと思います。その上で自分の出来ないことは、思い切って人に甘えてもいいのだと思います。