神経症回復のために忘れてはならないこと
北西憲二先生は次のように述べられています。「森田療法では介入法が常に対になっており、その基本は「理想の自己」や「べき」思考を「削ること」と、「現実の自己」(身体・内的自然)を「ふくらますこと」からなる。それらは一方だけでは成り立たず、常に対である。削る作業がなければふくらます作業も成り立たず、その逆も真で、それらは密接に関係しながらクライアントの変化を引き起こしていく。このダイナミックな関係を見落とすと、外来森田療法の実践が表面的なものになり、形を変えた認知療法、あるいは行動療法にもなってしまう。」(回復の人間学 北西憲二 白揚社 171ページより引用)これを噛み砕いて言うと、私たちは森田理論学習で「生の欲望の発揮」と「事実本位、事実回帰」の2つが、神経症の回復と神経質者の人生観の確立にとってとても大切だと言っている。ところが実際には、神経症に落ち込んだ人に、気になることは横に置いて、「なすべきをなす」に取り組むと神経症からは回復することができるという。これは「生の欲望の発揮」に属することですが、このことだけをことさら重視している。森田理論のほんの入り口だけを問題視してその先に進むことができていないのではないか。進めたとしても、そのレベルが低い。北西先生の治療は「生の欲望の発揮」と「事実本位、事実回帰」の両方面からのアプローチが欠かせないと言われている。神経症からの回復は、あざなえる縄のごとく、この二つを混然一体化して取り組まないと効果がないと言われている。昨日投稿したように、「生の欲望の発揮」と「事実本位、事実回帰」は一口に言うことはできない。それぞれに取り組むべきステップ、課題は多い。それらをきちんと整理して、理論化することが必要である。そしてどのように2つを組み合せて学習していくのか。さらにどのような順序で自分の生活の中に取り入れていくのか、ここら辺りが肝心なところであることは確かである。