☆不安があるとすぐに逃げてしまう人へ
「森田正馬が語る森田療法」(岩田真理 白揚社 P158)という本から森田先生の治療例を見てみよう。その方は57歳の未亡人で、もう22年も不潔恐怖に悩んでおられた。この女性の症状は非常に重篤で、強迫行為も伴っている。バイ菌が付いているようでものにさわることができない。手洗いを何回も繰り返す。入浴も自分では洗った気がしないので、人に身体を洗ってもらう。この激しい症状を森田先生は1年2カ月かけて根治させたという。彼女は、最初は症状を治そうとするよりむしろ、自分のしたいようにしていたい、ただ気分がまぎれればいいという様子だったし、神経痛があったりして、正規の森田療法は行えなかった。そこでまず、彼女の興味を引きものを見つけるためにさまざまなことをさせてみる。仕事ではなく、趣味、習い事である。そのうちに謡曲と仕舞に興味を持つようになった。森田先生はこれを、「患者の人生の希望を繋ぐためのもの」と表現している。症状のほうでは、それまでは食べ物を食べる時、「この鮭は腹のところに黒いものがなかったか」などという言葉を自分で反復し、それから、その料理を運んできた女中にその答えを間違いなく唱えさせて、途中で言い間違ったり笑ったりしたらまた繰り返させるという、強迫行為をしていた。もちろん、女中にはこれをいっさいやめさせた。誰もこの強迫行為に加担しない。患者は当然納得せず、女中を脅す。金品を渡してこの強迫行為をさせていたが、それもそのうち万策尽きた。掃除や、衣服をほどくなどの作業をさせているうちに、毎日100枚ほど使っていた紙が15枚ほどになり、手袋もとることができた。森田先生はこの患者の入浴を手伝った。最初は同じ入院生の女性が洗ってやっていた。その後、森田先生が3、4回洗ってやり、洗い方を教えると、それから自分ひとりで入浴することができるようになったという。そして頃合いを見計らって、森田先生は最大の恐怖突入をさせる。ある日だしぬけに、銭湯に行くように指示するのだ。それも先生のお母さんと一緒である。しかし彼女は、ここで劇的な展開をする。素直に銭湯に行き、自分の身体を洗ったばかりか、先生のお母さんの背中を自分の手ぬぐいで流すのである。彼女はもちろん、この上なく喜んだ。森田先生はこれを「かけがねがはずれる」体験と呼んだ。彼女は確かに「治ったのだ」先生は「全治」を宣言して、退院させる。退院後は、彼女は子供と暮らすようになったが、もちろん再発はなく、人の役にも立てるようになり、謡曲と仕舞の稽古に熱中していたという。整理してみると世間から隔離して入院森田療法を行った。興味のあることを見つけて行動を促した。強迫行為を無視した。作業をさせた。身体の洗いかたを教えた。頃合いを見計らって恐怖突入させた。これを1年2カ月付きっきりで指導されたのである。本人も最初のうちは大変な葛藤があったようですが、隔離されているためしぶしぶ先生に従わざるを得なかったのだろうと思います。安易に気分に流されるということが、隔離されるという強制力によって抑えられたのだと思います。イヤイヤながらも森田先生の指導に素直に従ったことが完治に結びついたのだと思います。ここが入院森田療法の大きなメリットではないかと思います。ここで安易に気分に流されないということを自分の体験で振り返ってみたいと思います。私は対人恐怖症ですが、飛び込み営業の仕事で症状が出るとすぐに仕事から逃げていました。逃げた時は少し楽になるのですが、そのあとの時間をつぶすのが大変でした。そんな時は、生きていることが空しくなり、何もしないで仕事をさぼるということはこんなにも苦痛なことなのかを身をもって味わいました。また毎日ノルマをこなさないで、事務所に帰った時、上司や同僚の軽蔑したようなまなざしは針のむしろに座らされているようでした。そんな時、先輩と二人で飛び込み営業をするようにという指示を受けました。一週間ぐらいずっと一緒にその先輩と一緒に見込み客を訪問しました。いつもの単独の営業活動ではありません。ですから訪問が苦しいからと言って仕事をさぼるというわけにはいきませんでした。先輩という監視役が付いているわけですから、イヤイヤながらも仕事をせざるを得なかったのです。その時の営業成績は2人分まではいきませんでしたが、一人で飛び込み営業をするよりははるかによかったのを思い出します。一人の時は午前中でその日のノルマが達成すれば、午後はさぼっていたのです。当然成績の悪い日もあるわけですから、平均すれば低実績に甘んじていたのです。その時は一人で船に乗って大海に出されているのと違って、何かあったら先輩がいると思うと何か気が楽になっているように感じました。飛び込み営業はほとんど断られることが多いのですが、一人の時は自尊心が大きく傷つきました。ところが二人の時はあまり傷つくことがなく、次の見込み客のところへすんなりと足が向きました。私の場合は対人恐怖が出てくるとすぐに逃げていたのですが、それを強制的に阻止してくれる第三者のサポートが必要だったのだと思います。逃げ出さないで仕事ができたということは、精神交互作用で対人恐怖症を発症させることはなかったかもしれないのです。今考えると、その職場で二人一組の営業スタイルが仕組みとして確立されていたとすれば、途中でいたたまれずに退職することは防げたのではないかと思います。今の訪問営業は携帯のGPSを利用した位置確認によって監視されているところもあるようです。これはこれで私にはつらいです。単独での営業は、対人恐怖症の私にとってはなんの役目もなく、すぐに退職してしまうのではないかと思います。監視と同時に二人で助けないながらの営業スタイルというのが意味があると思うのです。