田舎を元気にする方法
広島県庄原市で高齢者や障害者の施設を運営する熊原保さんの話です。熊原さんは、「過疎を逆手にとる会」の活動もされている。多くの人が、「こんな田舎に未来はない」というのを尻目に、人がまばらで空き家や耕作放棄地が増えてきていることをメリットとしてとらえそれを存分に活用して生活を楽しむ提案を数多くされている。空き家を利用して地域のお年寄りが集まるデイサービスやレストランも作られた。これまで、それらの施設で使う食材はすべて市場で買う県外産のものばかりだった。職員たちは、少しでも仕入れ値が安いところ選ぼう、食材費のかさまない献立を考えようと努力はしていた。そうまでしても食材費は年間1億2,000万円ほどかかっていた。この食材費は庄原市から外に出て行くお金であった。ある日デイサービスを利用しにやってきたお婆さんと会話をしていた。そのお婆さんはこういった。「うちの菜園で作っている野菜は、到底食べきれない。いつも腐らせて、もったいないことをしているんです」庄原市ではお年寄りの家ではどこでも沢山の自家用野菜を作っている。ところが、せっかく作っても食べる人はいない。仕方なく腐らせて処分をしていた。熊原さんはその野菜を施設で使うことを思いついた。毎日300人を賄う食材をお年寄りたちの自給野菜から賄うのだ。声をかけてみると、ぜひ、提供したいと言って 100人ほどの応募者があった。今ではワゴン車で野菜を集めてまわっている。これで年間1,200万の食材費が浮くことになった。約1割のお金が庄原市の外へ出ていかなくて、地域の中で循環を始めたのである。買い取った野菜は、地域の中のレストランやデイサービスで使えるニコニコデザインの地域通貨で支払われる。これはお年寄りたちがお金を受け取らないために考えられたことだ。この地域通貨を使ってデイサービスが利用できる。また、レストランで使うことができる。今までお年寄りたちは、畑仕事に出たついでに、あちこちあてもなく散歩をしていたという。道で誰かに出会わないか、立ち話でもできないか、そのための散歩だったという。そうして話すことがなければ1日ほとんど誰とも話さない。寂しくて仕方がなかったのだ。地域通貨があることで、それを活用するためにデイサービスやレストランに出かける機会が増えたという。また、今まで食べきれなくて腐らせていた野菜を、喜んで引き取ってくれる人が出来てお年寄りたちも張り合いが出てきた。これを森田理論で考えてみると、 「物の性を尽く」すということになる。安易に県外で作られた野菜に依存することなく、自分たちの地元で作られた野菜を見直して余すことなく有効活用する。そうすれば庄原市から外へ出て行くお金が少なくなり、庄原市の中で循環していく。これは、資本主義社会という経済の循環から見ると、停滞しているようにも思えるが、森田理論から見てとても魅力的な試みのように思える。これにより、お年寄りたちに野菜作りに張り合いが出てきた。たとえお金にならなくても自分の作った野菜を捨てることがなくなり、よろこんで利用してくれる人がいることが嬉しいのである。また、野菜作りを通じて、それを収集する人とのつながりも生まれてきた。さらに地域通貨を使って地域のつながりも強くなってきた。一石二鳥どころか、一石三鳥、四鳥にもなったのだ。現在、田舎では、若者が少なくなり、空き家も目立つようになった。また体の自由がきかない老人が多くなり、地域の共同作業も支障が出るようになった。しだいにどんどん田舎がさびれてゆき、地域全体が暗い雲に覆われたような暗い気持ちになってくる。熊原さんは、空き家があると言うのはタダで使える家がたくさんあるということ。耕作放棄地がたくさんあるということは、それをタダで存分に活用できるという風にプラス思考で考えておられる。田舎暮らしでは、身近にすぐに行けるような大型ショッピングセンターや娯楽施設があるわけではない。毎日の生活に刺激がなく面白くないと嘆く人が多い。お金を使うことばかり考えているのだ。そんなことを嘆くよりも、田舎にあって都会にないものを探して、田舎にあるものの価値を高めて、徹底的に活かしていく方向に発想の転換を図る必要がある。そうすれば、地域の人のつながりを取り戻すことができ、田舎は宝の山の宝庫だということに気がつくようになるのだ。田舎を元気にするのも、森田理論の考え方が大いに役に立つ。(里山資本主義 藻谷浩介 NHK広島取材班 角川書店 207頁より引用 )