「ダメでもともと、うまくいけば儲けもの」という考え方
形外会での中島氏の発言です。私は入院中、兎の箱の制作をある患者から受け継ぎました。先生から中島にやらせるようにとの事であったそうです。私は今まで、全く鉋や鋸を持ったことがなく、父からも人からも、全く無器用なものと承認され、私も全くできないものと、決めておりました。しかし、今度は、行きがかり上、思い切って請け合ってしまいました。どうしてよいか見当がつかないで、2時間ばかりも、じっと見つめておりました。それからやってみると、案外上手に出来上がって、我ながら感心しました。後に先生からも、よくできたといってほめられ、自分は、やれば何でもできるものであるという事を体験したであろうといわれました。これは実に私が、一生の生きる道の基礎を体得したものと感謝している次第であります。(森田全集第5巻 126ページより引用)中島氏は、それまで鉋や鋸を使って物を作った経験がなかった。自分はそんなことはできるはずはないと決めつけていたのです。ところが、指示されて手をつけてみると、予想外の出来栄えに自分でも驚いた。先生からも評価されて、一つの自信になった。ここで掴んだことは、今まではやる前から先入観で、「そんなことやったこともないのにできるはずはない」「挑戦することは無謀としか言いようがない」などと決めつけていたのです。これは中島氏に限らず、頭でっかちな神経質性格者の特徴です。石橋を叩いて安全だと分かったとしても、「万が一」の不安が払しょくされなければ手をつけない。やらない口実、やれない理由を次々と思いついて、言い訳ばかりするようになるのです。手をつけなければ、煩わしいことをしなくて済みますから、やれやれと一瞬ほっとします。ところが、そのうち暇を持て余すようになります。時間をどうやってつぶそうかと考えるようになると、緊張感がなくなり、精神状態は弛緩状態に陥ってしまいます。やるべきことがない、問題や課題がないのは、楽な生き方のように見えますが、精神状態はボロボロになります。人間本来の生き方を放棄しているからです。赤ちゃんは歩けるようになるまでは、何回も試行錯誤を繰り返しています。立っては倒れ、立っては転んでいます。でも、立って歩けるようになるはずがないと決めつけている赤ちゃんはいません。失敗しても、立って歩けるようになるまで、何度でも挑戦しています。まずつたえ歩きができるようになります。そのうちだれでも立って歩けるようになっていくのです。何度失敗を繰り返していても、立って歩けるようになりたいという欲望の方が強いのです。すぐにあきらめてしまっては、いつまでも経っても歩けるようにはならない。失敗しても挑戦し続ける態度は、元々すべての人間に遺伝子として組み込まれているのだと思います。関心や興味のあること、問題点や課題、夢や希望に向かって行動することが人間に宿命づけられているのです。ところが、知恵がついてくるにしたがって、観念でできるかできないかを判断するようになったのです。予期不安があるものは、安易にできないほうに分類しているのです。やった方がよいことでも、難しいこと、やっても無駄骨を折るだけのこと、手間暇がかかりめんどくさいものなどは、気分本位になってやらないほうに分類しています。その結果、自分が元々持っているできる意欲や能力は眠ったままになります。手をつけないとその能力を鍛えて高めていくことはできません。小さな成功体験が積み重なっていかないと、生きる自信は生まれてきません。すべての苦を排除して、楽ばかりを追い求めるようになると、もはや人間とはいいがたい。人間の堕落が始まるのです。先入観や決めつけでやらない方を選択するのではなく、「ダメでもともと、うまくいけば儲けもの」という気持ちで、フットワークよく身体を動かして生活しましょうというのが森田だと思います。その姿勢を維持すること以外に、明るい未来はやってこないようになっているのです。