森田理論を信頼するということ
森田先生は、神経症を治すには、思い切って僕の言う事を聞くと簡単に治る。治った人の真似をすれば治る。屁理屈を言う人は治らない。誠に厄介者です。「こんなことをして治るというのは不思議なことだ、合点がいかぬ」と思いながらも、黙々とその通りに実行するのを素直とか従順とかいうのである。(森田全集第5巻 431ページ)最初の段階では、日常茶飯事に取り組むことで、神経症が治るとは到底考えられないと思ってもよいのです。たとえ、不安、恐怖、違和感、不快感などを、軽減させ、取り除くことができないような医者はやぶ医者に違いないと思ってもよい。掃除や炊事などをさせて、高い入院費をとるのは、悪徳医者かも知れないと思ってもよい。さらに、こんな医者はけしからん。悪事の数々を暴いて、世間に公表してやろうと思ってもよい。反発するという事は、それだけのエネルギーを秘めているから頼もしいのだ。その当時は、こういう、反発心のある人が多かったのだ。入院して炊事、掃除、植物や動物の世話などをさせられるので、腹を立てる人が実際にいた。奥さんがやってきて、そんな夫の姿を見て、涙が出たという人もいた。現在はそれだけの反発心のある人がとても少ない。つまりどちらかというと、生の欲望が希薄なのである。治るのだったらよいが、治らないのだったらそれでも仕方がないといった感じなのだ。何が何でも神経症を治すのだという気迫が乏しい。生の欲望が強いという事が、森田神経症適応の条件になっているので、そもそも森田療法に親和性のない人が増えてきていることが問題なのです。これはその人の責任ではない。社会、政治、経済、教育が生み出してきた弊害とみている。河原宗次郎さんが、初めて森田先生の診断を受けたときのことを、次のように書いている。診察料の10円(当時の1円は現在の1万円といわれている)を前払いして診察を受けた。倉田百三さんの本を見てきたので、よほど偉い先生かと思っていた。案内されて二階に上がり、粗末な机の前に座っていると、間もなく、和服を無造作に着た、痩せて小さな猫背の老人が現れた。それが森田先生であった。この人が、私のむずかしい病気を治せるのかと、少したよりなく思った。その時の私の服装は、偉い先生にお目にかかるのだからと思って、略礼装の黒上着に折目正しい細縞のスボンをはいた、りゅうとしたいでたちであった。(形外先生言行録 51ページ)何ともやりきれない、割り切れない気持ちになられたことであろう。第一診察料が10万円というのは法外に高すぎる。その後どうなったか。反発して騙されたと思って、逃げかえることもできたのだ。河原さんは、そのまま40日間入院された。これが森田先生の素直、柔順という事であろう。森田先生は、最初は田舎のお爺さんみたいな人なのですが、噛めば噛むほど芳醇な味が出てくるするめのような人だったのだ。実際敬愛の念が膨らんでいったという。森田先生のことをするめに例える不謹慎はお許しいただきたい。そういう第一印象の悪い人についていくということは、まかり間違えば洗脳されてとんでもないことになる。しかし疑いながら、いったんは素直に言われる通りのことに取り組まないと、その先には進めない。ある程度の期間は、物まねでもよいので、その信じる人を信頼して真剣に取り組んでみる。自分に合わない、信頼できないと思ったら、その時点ですっぱりと見切りをつける。別の方法を探す。中途半端な気持ちでは、何も身につかないし、洗脳されて抜けるに抜けられないことになる。そのころ合いは難しいのですが、森田療法は開発されて、もうすでに100年を超えた歴史があります。歴史の重みは安心感が持てることだ。信頼して取り組んでみる価値はあると思います。信頼して、3年間は死に物狂いで先輩について学習に取り組む。学習と実践を繰り返すことをお勧めしたいのである。そして素晴らしい人生観を身に着けようではありませんか。