ミスや失敗に対する考え方
対人恐怖症の人は、ミスや失敗を恐れる傾向が強いと思います。ミスや失敗をすると上司や同僚たちから批判や叱責されていたたまれない気持ちになるからです。無視される、馬鹿にされる、軽蔑されることは、絶対にあってはならない事と思っている。そういう気持ちの人は、他人がミスや失敗をすると内心嬉しくなる。心の中で、なんて馬鹿なことをしているのだと軽蔑しているのです。そして、あの人よりは自分の方がましだと優越感を味わっているのです。こういう人は、自信のある仕事、ミスや失敗の可能性が限りなく0に近いものを選別するようになります。しかも選別した仕事に、恐る恐る取り組むことになります。仕事の問題点や課題を見つけ出して、改善や改革してより効率的にしていこうという気持ちはさらさらない。大過なくその日が過ぎ去れば万々歳という気持ちしかない。人生そのものが閉塞していく考え方になります。むなしくなります。この状態は、どんどん目の前の仕事をこなしている人と比較するとスピード感がない。こなす量も少ない。そのため慢性的な残業過多に陥っている。周囲の人から見ると、あの人はやる気がない人と判定されてしまう。極端に言えば、給料泥棒のような人だと思われているのです。そういう人も、はるか以前には、できたら仕事をバリバリこなして、リーターシップを発揮して出世したいという気持ちは持っていたのだと思います。生の欲望が人一倍強い神経質性格を持っていますから当然のことです。しかし、過去のミスや失敗による心のトラウマが重圧となって、自己防衛せざるを得ない心境に陥っているのです。このまま他人の思惑に振り回されながら仕事を続けていかなくてはならないのかと暗澹たる気持ちになっておられることと思います。この問題を森田理論で考えてみたいと思います。ミスや失敗は一度たりとも許されないという「かくあるべし」に取りつかれています。生きている限りミスや失敗は発生するのが当然であるとい考え方に転換することができない。人間は3000回のミスや失敗をして、分別のある大人に成長していくのだという話を聞いたことがあります。それくらい、あるいはそれ以上に、多くの人はミスや失敗を繰り返しています。こうした事実が見えていないのです。そのことがさっぱりわからないのです。むしろ性格的に他人の批判や叱責が気にならない人たちなのだと思っている。あるいは、その人たちはうまくすり抜けるコツを身に着けている人だと思っている。これは認識の誤りです。積極的に仕事をすればするほど、ミスや失敗に出くわす機会は格段に増えていきます。我々が嫌なことから逃げまくっている間に、次々とミスや失敗の経験を積み重ねているのが事実なのです。ミスや失敗をイヤイヤ仕方なしに受け入れているといってもよいのです。ミスや失敗はイヤだけれども仕事から逃げまわることはできない。ミスや失敗を繰り返しながら、やり続けるしかないと思っているのです。そして大事なことは、数多くのミスや失敗の経験を無駄なことだと思っていない。ミスや失敗の経験が自分という器を大きくしてくれるものだと信じているのです。ミスや失敗は、私たちが成長していく上に欠かすことのできない食料のようなものだと思っている。特に小さいうちに沢山のミスや失敗の経験を積み重ねていきたいと思っているのです。絶えずミスや失敗の経験に学んで、成功につながる貴重なポイントを身に着けているのです。それによって大人になったとき、間違いの少ない対応方法がとれるのです。ミスや失敗の経験は宝の山だと思っているのです。インフルエンザの注射は痛いものですが、それによって予防できるのだから、我慢して病院に行くという態度なのです。ミスや失敗におびえている人は、二度とそういう状態には近づかないようにしています。ミスや失敗から成功への足がかりをつかもうとしている人は、今はタメを作っている時だと思っています。大きく飛び上がるときは膝を折って腰を沈めなければ、大きく飛び上がることはできません。その期間がないと自分は大きく飛躍することができないということを自覚している人です。そうすることで大きな果実をつかみ取ることができると信じている人です。ミスや失敗から逃げ回っていく人とそれを嫌なことだけれども人間として当然な事として受け入れる人との差はどんどんと広がっていくばかりとなります。これは一人の人間としての器の差になって現れてくるのです。ミスや失敗は注射針を打たれるような痛みはありますが、立派な大人になるためには欠かすことのできない貴重な経験であるという認識を持つことが大切になります。そういう認識を持っていれば、自分を責めなくなります。また次の問題、仕事、課題に向かって挑戦していけるようになります。