自分が持っているものをとことん活用する
次のような逸話があります。一匹のトカゲがいました。そのトカゲは、常々、カメをうらやましく思っていました。カメは頑丈な甲羅を背中に背負っています。そのトカゲは、「自分も、あんな甲羅が欲しい。甲羅があれば強そうに見えるし、敵に襲われても安心だ」と、カメをうらやましく思っていたのです。そして、「自分にも、あんな甲羅を背中につけてください」と、神様に祈りました。すると、神様は、空の上から、「おまえの願いを叶えてやろう」と言いました。そして、その神様は、トカゲの背中に甲羅をつけてやったのです。その瞬間、トカゲの願望は叶いました。しかし、そのトカゲは、ちっともうれしくありませんでした。そのトカゲは、「甲羅が重くて、早く走れない。動き回るのに邪魔になってしょうがない。こんなことになるんだったら、神様に、甲羅をつけてくれるようにお願いするんじゃなかったと後悔したのです。(後悔しないコツ 植西聰 自由国民社 96ページ)人間は自分と他人を比較して、他人の中に自分にないものを見つけるとつい欲しくなってしまいます。つい無いものねだりをしてしまいます。そのとき、自分が持っているものは、あるのが当たり前で、感謝することを忘れています。自分の持ち物、備わっている能力、健康な体、考える力などを軽視、無視して、粗末に扱うようになります。樹木希林さんは自分の体は神様からの預かりものだといわれていました。貸していただいているものを、それがよいとか悪いとか価値批判するのはお門違いです。貸していただいたものは、いずれ神様にお返ししなければなりません。返却するときに、使い物にならないくらいに手荒に扱っていていいのですか。そういう人には、またどこかの惑星に生まれ変わるとき、ちょっとあの人には、人間のような知的生命体として生まれ変わらせてあげるのは考えものだよね。みんなから嫌われる蛇くらいでいいんじゃない。あるいは蛇に食べられてしまうカエルくらいが適当よ、と思われるのではないでしょうか。形外先生言行録の中に、片岡武雄さんの古下駄の話というのがあります。縁側の下をもぐって掃除していたら、汚い古下駄が1個出てきたので、井戸のような深い穴(塵を捨てる穴)へ持って行って、ポイと投げ入れた。その途端書斎におられた(森田)先生に、ちらりと見られてしまった。今何を捨てたのか。はい下駄を捨てました。燃えないか。はい燃えます。早々に梯子を持ってきて、穴にはいり、拾いだしてきた。森田理論に「物の性を尽くす」というのがあります。これはそのものが持っている存在価値に光を当てて、居場所や働き場所を与える。その能力を命ある限り大きく花開かせていくというものです。物だけではなく、自分、他人、時間、お金もそうです。今現在、自分の所有物であっても、活用していないのであれば、活用できる人のところに移転して、その命を全うさせてあげることが大事なのですよと教えてくれている。我々は、「かくあるべし」を押し付けることが多いのですが、「物の性を尽くす」という考え方を身につけると、そのものの居場所や活躍の場を血眼になって探すことになるので、対立することがありません。むしろ相手から感謝し感激されるようになります。