吉行和子さんから学ぶ
女優の吉行和子さんのお話です。2歳のころからひどい喘息でした。発作が起こると、それはもう死ぬほど辛いのです。でも、これは、誰かに「助けて」とすがったところでどうしようもない病気なんですね。とにかく、ひたすら耐えるだけ。そうすると1週間か10日ぐらいしてやっと発作がおさまるのです。筆舌に尽くしがたいとはこのことで、知らない人にはなかなか分かってもらえない苦しみでした。学校も休みがちで、将来に夢や希望なんか持てなかった。結婚なんてとても無理だと思っていた。家で習っていた編み物やお裁縫が唯一の特技でした。振り返ってみれば、いつも心のどこかに「こんな私だから」という思いがあった気がします。でも「こんな私」でもできそうなことがあれば、やってみよう。「こんな私」でもお役に立つのなら、頑張ろう・・・。病気のお陰で多くを望まなくなったのか、いつも目の前のことに夢中で、それをやっていれば幸せでした。「あれも欲しい。これも欲しい」とはあまり思わない。だから手に入らなかった時の挫折感や悔しさもない。考えてみれば、この性格が、私の心を軽くしてくれているのかもしれませんね。若いころから、自分は芸能界のきらびやかさとは無縁だと思っていました。廻りにどんなに美しく華やかな女優さんたちがいても、コンプレックスを持つこともなかったし、いい役についた人を羨むこともありませんでした。あれだけ苦しんだ喘息も、52歳の年にピタッと治ってしまいました。でもそのかわり、体のあちこち具合が悪くなって、生きるか死ぬかの大病を経験しました。何時間にも及ぶ手術とその後の闘病生活、でも不思議ね。そんなときでさえ私は落ち込まなかった。一つには、半世紀もの間、喘息の苦しさに耐えてきたということもあります。すっかり我慢強い人間になっていたのです。その時、思ったんです。どんなにつらい体験も、その後の困難を乗り越える力になるんだって。病気の経験ですら役に立つのだから、つくづく人生には無駄がありません。また、役者って変なもので、苦しみや悲しみですら「あっ、この感情、何かで使えるかも」なんて役作りの糧にしてしまうようなところがあるんです。(50代から人生を楽しむ人、後悔する人 PHP)吉行和子さんの演技は飄々として他の人をほっとさせるところがあります。それは筆舌に尽くしがたい体験のなかから醸し出されているものかもしれません。過酷な病気との付き合いの中から人生の極意を掴まれているのではないか。普通の人は喘息で苦しいとき、どうして私だけがこんな目に合わなければいけないのと思いますよ。そして人生に絶望して、投げやりになってしまいますよ。吉行さんは、過酷な状況にもかかわらず、何とか折り合いをつけて生きてこられました。そして喘息がおさまったとき、自分がやってみたいこと、自分ができること、人様の役に立つことを見つけて前向きに生きてこられました。この話は肺結核で苦しみながらも、苦しみがおさまったとき、懸命に創作活動を続けた正岡子規を思い出します。これは森田理論でいうと、上から下目線で事実を否定することをやめて、事実を受け入れて、事実に寄り添って共に手を携えて生きていくということです。森田理論を学習している人は、観念優先で事実を否定する生き方の弊害は多くの人が理解しています。ところが事実本位の生き方をものにすることは大変難しいのが実態です。吉行和子さんは、ご自分の体験を通してその道筋を教えてくれています。