カテゴリ:森田理論の基本的な考え方
「人」と「為」をくっつけると、「偽」(いつわり)という字になります。
「他人の為に尽くす」ことが「いつわり」というのはどういうことでしょうか。 また、「小さな親切大きなお世話だ」と反発されることもあります。 人の為に尽くすことが、相手の役に立っていない。 反対に親切の押しつけになっているというのはどういうことでしょうか。 これでは人の為に誠心誠意努力している人も相手も浮かばれません。 これに関して森田先生は次のように説明されている。 およそ自分が善人として、周囲の人から認められるためには、人が自分に対して、気兼ねし遠慮しようが、うるさく面倒がろうが、人の迷惑はどうでもよいということになる。 これに反して、人を気軽く便利に、幸せにするためには、自分が少々悪く思われ、間抜けと見下げられても、そんなことは、どうでもよいというふうに、大胆になれば、はじめて人からも愛され、善人ともなるのである。 つまり自分で善人になろうとする理想主義は、私のいわゆる思想の矛盾で、反対の悪人になり、自分が悪人になれば、かえって善人になるのである。 (森田全集第5巻 205ページ) 森田先生は「相手の為に尽くそう」という理想主義から出発すると、相手にとってはありがた迷惑になると言われている。 理想主義から出発して、親切の押売りをしてはならないと言われています。 どうしてそのようなちぐはぐなことが起きるのか。 それは相手が欲しいもの、求めているものがよく見えていないからだと思います。 闇夜で鉄砲を撃つようなもので的がはずれているということです。 相手に尽くす前に、相手の話に耳を傾けて、相手の気持ちや関心事を掴むという基本動作ができていない。 自分の頭で考えた援助をすれば、相手はきっと喜ぶはずだと勝手に決めつけているのです。 的の外れた助言や援助はありがた迷惑となり、反発されることもある。 逆に相手の気持ちや欲求に合致した援助ほどありがたいものはありません。 涙が出るほどうれしいし、お礼をしたくなります。感謝されます。 人の為に役に立つことをしようと思ったら、相手の状況確認が欠かせないということになります。 森田では、傾聴、共感、受容、許容を重視しています。 但し、相手の気持ちや欲求が理解できても、性急に援助の手を差し伸べることは考えものです。 なぜなら、のべつ幕なしに援助の手を差し伸べていると、相手の成功体験の機会をことごとく摘み取ってしまうからです。 相手が右往左往して、自分一人の力では改善することが難しいとき、援助の手を差し伸べると相手にとってはとてもありがたいものとなります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.08.03 06:20:09
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