地中海のこちら側と向こう側
レバノンでできた友達の中に、ナジュアというシリア人がいます。ナジュアは50代の女性。50代といっても、とてもきれいで、年齢を感じさせません。ナジュアには4人の子供がいますが、若くして旦那さんを感電死か何かで突然亡くし、女手一つで4人の子供を育ててきました。その子供たちも巣立ち、現在のナジュアは一人暮らし。 ナジュアと私はアパートが向かい合わせでした。このナジュアを一言で表現すると、「豪快」。何もかも豪快。車では、アラブの音楽をガンガンと大音響でかけてかっ飛ばし、横入りする車やちんたら走っている車に向かってヤジを (?) 飛ばし、助手席で真っ青になりながら緊張した体を座席に押しつける私を見てケタケタと笑います。肝っ玉母さんで、結婚して家庭を持つ子どもたちも何かあればお母さんに相談してきます。誰もかれもがナジュアを頼りにしています。頼らずにはいられない存在です。若くして夫を亡くしたナジュア、夫はレバノン人でしたが彼女はシリア人。シリア人はレバノンではとかく差別されがちですが、そんな国で一人で4人の子供を育て上げるために彼女が選んだ仕事はランコムやシャネルなどのブランド・コスメの訪問販売。全盛期(?)には、2000ドルから3000ドルを一人で稼いできました。当時の価値で言うと月々20万から30万以上の収入です。レバノンで、女性でこれだけ稼ぐのはかなり珍しい。いまでも男性で週5日間働いて600ドルなどが普通のレバノンですから、ナジュアがどれほどキャリアウーマンかは言うまでもなくお分かりいただけるかと思います。現在のナジュアは、お姉さんが経営するアラビック・スイーツのお店を手伝っています。このお店がまた非常に繁盛していて大忙しです。そのためコスメの販売はかなり縮小し、以前からのお客様に商品を届けるだけにとどめています。ナジュアのお店で見たシュークリーム三昧のケーキ…豪快!!→さて、ナジュア式コスメの訪問販売ですが、ハムラ地区の会社を一軒一軒回ってまず営業から開始したそうです。ハムラというのはベイルートの繁華街で、レバノン随一のビジネス・エリアでもあります。このハムラに目をつけ、たくさんのクライアントを見つけ出したナジュア。アラブ女性、特にイスラムの女性はデパートなどにコスメや香水を自分で買いに行くことがありません。いまの若い世代は違うと思いますが、ひと世代前の女性たちは非常に保守的なのです。またアラブは、値段を幾つかのお店で比較検討する日本人のような勉強家でもありません。そんな女性たちの無知を逆利用し、かなりのマージンを取るのがナジュア流。ちまちまとしたところが一切ないナジュアは、マージンも豪快に取ります。でも本人はけろっとしています。「だってこの値段でクライアントが合意するんだから」と。まぁ確かにそうですよね。このナジュアの豪快さを改めて痛感したのは、彼女が料理をしている時。半端じゃない大きさのボールにサラダを作っていたのですが、突如ビニール製の手袋をはめ始め、何をするのかと思ったら、ボールに手を突っ込んで野菜とドレッシングををわさわさとかき混ぜ始めました。手でかき混ぜるか~~??? 何と豪快な女性! と思わず感心して見とれてしまったのでした。さてこのナジュア、毎日大忙しですから、物忘れもよくします。「OK,OK」と請け合いますが、完全に忘れていることも多々あり、待てど暮らせど約束が果たされないことも。でも、アラブにありがちな「忘れたふり」「気づいても気づかないふり」などは一切ありません。アラブは自分に都合の悪いことや気が変わってやりたくなくなったことなどは、「忘れたふり」で通そうとします。特にアラブ男性。「忘れたふり」をするときのアラブは、心なしか目を合わそうとしませんので、すぐに分かります。「ふり」してんの丸分かりやん!! と突っ込みたくなります。でもナジュアにはそういうアラブ特有の「ずる賢さ」などが全然ありません。彼女が「忘れてた」という時はすっかり頭の隅から忘れ去っている。そんなナジュア、ぱっと見は背も高くて華やか、声は低くて大きく、ちょっと怖いイメージもあります。でも慣れると、この豪快なシリア女性に魅かれずにはいられません。ナジュアと私はとても親しくなり、アパートが向かい合わせだったこともあり、毎日のように顔を合わせる仲になりました。そんなナジュアにスペイン行きを報告し、お別れを伝えたときですが、ホロホロっと涙を流したナジュアに「あ~、お別れを言うのって本当につらいことだなぁ」と私も思わず涙をこぼしてしまったのでした。海外で生活することで出会いと別れを繰り返してきましたが、別れの度に「悲しいな」としみじみ思ってしまう。自分で選んだ人生だし、海外に来ることがなければ会うこともなかった貴重な友達の数々なのですが、別れるときはいつも本当につらいです。海外で見つけた友情に支えられ、助けられ、学ばされ...、お互いに得るものは非常に多いと思いますが、こうした生活には別れが付き物。もちろんこれで終わるわけではありません。でも毎日顔を合わせていた友達との別れにはひとしおの思いがあります。国としてのレバノンも全体としてのレバノン人も好きではありません。でもそこにいる友達のことを懐かしく思い出さない日はありません。みんな、元気にしてるかな~。3カ月したらまた会いましょうね~、と地中海のこちら側から向こう側に呼び掛けています。 年末年始はヨルダンへ。http://picturesque-jordan.jp/japanese.aspx