意識が遠のく中、私の呼びかけに反応して必死に目を開き、顔をあげてくれていた沙羅ちゃんの写真です。
この写真は可愛い沙羅ちゃんですが、この時の沙羅ちゃんは本当に「いつ逝ってしまってもおかしくなさそうな」顔をしていました。
シャッターを切りながら、
これが最後の写真になるかも・・・・
という恐怖感にとらわれて、手が震えました。
それならなおさら、生きている沙羅ちゃんの写真を少しでも残したい・・・
でも一方で、
こんな風に悲壮な思いで撮った写真が、数年後に笑いの種になるんじゃなかろうかというわずかな希望もありました。
あの時、死にそうになってたんだよね、それがこんなに立派になって!
私、沙羅ちゃんが死んじゃうと思って、あんなに病院で泣いてて、ばかみたいだね~
なんて、そんな話をふくちゃんたちとしている姿を思い描いたりしながら・・・どうかそうなって欲しいと思いながら・・・すでに目の焦点が合わずに見開いたままの沙羅ちゃんに「がんばって、がんばって」と声をかけ、ガラス越しになでながら、シャッターを切りました。
この写真は結局、生きている沙羅ちゃんの最後の写真になりました。
この数時間後・・・沙羅ちゃんはなくなりました。
(連絡を受けて迎えに行ったときにはすでに冷たく硬直していましたから、実際には数十分後だったかもしれません・・・)
沙羅ちゃんは、最後の最後まで、
お母さん大好き、私を抱っこして、なでてちょうだい!
と訴えていました。
写真なんかとっていないで、やっぱり、酸素室から出してもらって抱きしめて撫でてあげながら、看取ってあげることを沙羅ちゃんは望んでいただろうと、今でも後悔しています。
自分の忙しさや体調不良に甘えて、沙羅ちゃんのSOSにうっすら気づいていながら、彼女のうわべの元気に安心して、早めの対応をしなかった・・・
ちょっと無理をすればいくらでも病院に連れて行けたのに、休みの日に連れて行こうとのんびり構えてしまった・・・
せめて、餌をほとんど食べないことに気づいた段階で、高カロリー食の強制給仕をしてあげていれば・・・
大切な命を育てていたのに、あんまり食べないけど元気だからまあ大丈夫かな、と真剣に考えなかった・・・
沙羅ちゃんに対する自分の行動は、大人の勝手な都合で幼い子供を死なせてしまった親たちや周囲の(肉親の)大人たちとたいして変わりはなかったと思っています。
もう絶対に、自分の甘えで幼い命を死なせたくありません。
絶対に、沙羅ちゃんのことは忘れません。
沙羅ちゃんが刻みつけてくれた、悲しみや後悔は、忘れません。
これからどんなにたくさんの子猫を保護して里子に出したとしても、沙羅ちゃんのことは絶対に忘れません。