カテゴリ:我が子★玉太郎とたまこ
今日はチャッピーのお葬式に参加してきましたフサBです。
チャッピーは今年の9月で20歳になるということで、19歳6ヶ月の生涯でした。 ばあちゃんが言いました。 「本当に良かったのは、チャッピーを抱いて見送ることができたんや。」 その日も、いつも通りにばあちゃんにご飯を食べさせてもらい、お水を飲んで・・・ いつも通りだったけど、ばあちゃんは 「なんだかおかしい」 と思ったそうです。 チャッピーを抱っこしていると、おなかから「ぐるぐる」と音がし、眠るように息を引き取ったそうです。 最期を迎えたその瞬間は、大好きなばあちゃんの腕の中だったこと。 チャッピーは本当に絵にかいたような幸せな犬でした。 「見てあげて、本当におだやかに笑っているような顔やよ」 と、ばあちゃんが言いました。 その言葉通り、本当に幸せそうに笑ったような顔のチャッピー。 みんなでチャッピーの頭をなでました。 「よく頑張ったね、ありがとうね」 と声をかけて。 玉太郎だけは、チャッピーの顔も見ない、お葬式も出たくないと、かたくなに拒んでいましたが、最後に一目と、ばあちゃんが見せてあげました。 「ほら、笑ってるやろ」 と、言うばあちゃんに、 「うん・・・」 とだけ答えた玉太郎。 触ることはできなかったけど、玉太郎にとっては生まれた時からずっと触れ合ってきたチャッピーの、幸せそうな死に顔を見てくれて良かった。 お葬式には、じいちゃんとばあちゃん、私と夫、たまこの5人が参列。 お経をあげ、お焼香をし、と人間さながら。 最初は大人の真似をして、神妙な顔で手を合わせていたたまこが、いつのまにやらしくしく泣いており、お焼香はできませんでした。 独特の雰囲気に、何かを感じ取ったんでしょうね。 最後の最後のお別れをして、末期の水ってやつ(?)もみんなであげて、チャッピーを荼毘に伏しました。 いよいよお骨になったところで、さすがにまだ5歳のたまこにお骨ひろいは早いかと、私とたまこを待合室に残し・・・チャッピーを子犬の頃から知っている3人が行きました。 「チャッピーのお迎えに行ってくるよ」 とたまこに言って。 小さなお骨になったチャッピーを連れて戻ってきたみんなに、 「チャッピーは?お迎えに行ったんでしょ?」 と無邪気に聞いたたまこ。 まだ「死」と言うものを本当に理解したのではなく、なんとなく雰囲気だけを感じたようですが、今はそれで十分・・・ いつか近い将来、理解するときが来るでしょう。 玉太郎は、去年の沙羅ちゃんの死で、「死」という現実を悲しい形で理解したのかもしれません。 だから、チャッピーの死に顔を見たくないと言ったんだろうと・・・ でも、チャッピーは、幸せな死を迎えたのだということも、わかってくれたと思います。 動物であれ人であれ、元気な姿を知っていて、触れ合ってきた者が「いなくなってしまう」のはとてもさみしくて悲しいこと。 ばあちゃんの心を思えば、今はきっとさみしく悲しい思いでいっぱいでしょう・・・ でも 最後の最後まで愛し、お世話をし、その腕の中で見送り、お葬式もしてお骨でそばに置いてお参りをする・・・できるすべてをやりきって、「ありがとう」と言って送ることができたばあちゃんの心には、遠からずチャッピーとの優しい思い出だけが残ると思います。 たくさんの「人間と暮らす動物たち」が、チャッピーのように幸せな最後を迎えられるようにと願います。 沙羅ちゃんに、「できることもせずに死なせてしまった」という悲しい思いを抱き続けている私は、ばあちゃんとチャッピーがとてもまぶしく見えます。 いつか来る、クロや茶々朗、瑠璃、銀朗、シェイミとの別れの日・・・ その日は、「ごめんね」じゃなくて、今日のチャッピーのように、「ありがとう」と言って送り出すことができますように・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.03.22 01:43:25
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