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テーマ:徒然日記(23331)
カテゴリ:日常生活
自分が健康で元気なのは、
とてもありがたいことだ。 神様に感謝もしているし、 健常者ならではの 正しい行動を心がけているつもりだ。 家族が病気になってから、 長い時間が流れている。 母も妹も従姉妹も 国の保護を受けている難病患者であり、 病気ではない親戚は ひきこもりで精神的に健康じゃない。 元気な叔母がいて、 この人はどうして?ってくらい元気だけどな。 病気チームが いつも病に臥せっているかというと そんなことはなく、 悪化しなければ普通の暮らしが出来ているので、 とりあえずは問題なく暮らせている。 ずっと看病しなきゃいけないとかではないし、 まぁ問題ないといえば、ないんだが。 しかし、長いこと家族と関わっている間に、 澱のように我が身の内に なんともいえないストレスが 溜まってきてしまってる今日この頃。 なにしろ、家族には何も頼めない。 ちょっと仕事を手伝ってもらうだけで、 体調を崩されたりする。 申し訳ないのと、責められるような感覚に、 もう誰も頼りに出来ないと思うしかない。 この程度なら助けてもらえるかな? と思っても、うそでしょー?というくらい 体調を崩すので、何も頼めない。 (去年実感した) 時々、メールなどで連絡をやりとりするが、 その度に、不調を訴えられる。 母などは、連絡の度に、今度はどこが痛いとか、 また手術するかもしれないとか、 とかく不調を訴えてくる。 彼女は毎年のように手術したりしている。 その度に,普段はあまり行き来のないのが、 こちらからせっせと通い詰めては、 世話を焼くことになるので、 手術はイヤだろうが、 その後の世話をされることは、 母にとって嬉しい事のような印象を受ける。 今年の始めは、手術だったので、 せっせと世話をしに行った。 もう大丈夫という段階になると、 こちらもそれまでの負担から解放されて パッタリ母のところに行かなくなるし、 必要以外は連絡もしない。 なんとなく術後の世話が嬉しそうな母を見て、 (またかまってほしくて「手術する」とか言いそうだな) と思っていたら、 案の定,メールが来て 「また手術になるかもしれない」だと。 病気なのだから仕方がないことで、 まぁ、手術が必要になるかもしれないのは。 ウソじゃないんだとわかっているが、 潜在意識がそういう状況を引き起こしてないか? などと勘ぐりたくなる。 妹は、普通に暮らしているが、 気が強いのもあって、なにかにつけ 自分がいかに病気によって煩わしい思いをしているか、 世間がいかにそういう病気に意識が低いか、 などを怒りをこめて主張してくる傾向があって、 なんというか、付き合いづらい。 加えて病院や医師に対して、 常に上から目線の意見を言うし、 最近は私に対しても説教でもしかねない剣幕の 時があって、こちらはちょっとした事でも 「頼っちゃいけない」という意識を 持っているにもかかわらず、 その相手が、偉そうすぎて感じ悪い。 元気な叔母は、同じ難病の娘を抱えているので、 何かとそっちの味方をするわけで、 私は、その元気な叔母のパワフルな説教を 意味もなく食らう立場にあるのである。 まるで粗相しないように見張られているみたいだ。 そんな感じで、この状況ももう長いんだが、 最近は、こちらもなんだか精神的に疲れてきたなぁと…。 「健康でいいわね」 「ええまったく」 だけど、病気の人たちに周りを固められると、 けっこうしんどいですな。 誰にも甘えちゃいけない。 なにかあったら自分がやらなきゃいけない。 そういう意識を維持し続けるのは、 精神衛生上良くないな、と思ったので、 あえて家族と距離を置いてみている、最近。 「関係ない」ということにはならないけど、 とにかく「関係ない」という気持ちの時間を多くとって、 普段は、忘れ去っておくのが良いと思った。 こんな風に思い悩んでいるなんて知ったら、 病気チームの怒りを買う事は間違いない。 なにしろ病気の方が辛いのだから、あたりまえだ。 こんなふうにブツブツ言ってるのは、 そうですとも、私がしっかりした大人じゃないからですとも。 わかってますとも。 だけど、だからといってしっかりしたくもない。 わりーな! 【送料無料】病気にならない生き方 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年08月01日 13時32分19秒
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