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テーマ:いい言葉(572)
カテゴリ:楽しい生活
4月8日の日記に「日日是好日の気持ちで毎日を送られれば良いが、
四苦八苦や自然災害などで、この気持ちを持ち続けることは 生半可なことではない」ということを書きました。 ここで四苦八苦とは具体的にどういうことなのか。 仏教では、基本的な苦としてまず、生・老・病・死を説きます。 それに次の四つの苦を加えると、八苦になります。 愛別離苦(あいべつりく)・・・愛する者と離別しなければならない苦しみ 怨憎会苦(おんぞうえく)・・・怨み、憎む者と会わなければならない苦しみ 求不得苦(ぐふとくく)・・・・求めるものが得られない苦しみ 五蘊盛苦(ごうんじょうく)・・肉体と精神の全てがそのまま苦である (正確には、色・受・想・行・識の5要素の作用から起こる苦しみのことですが、 複雑なので上記のものだと仮にしておきます) これらの四苦八苦によって、毎日が手放しで「タノシイ~♪イエーイ^^v」 とはなかなかならないでしょう。 しかし、改めて考えると、これらは本当に「苦しみ」なのでしょうか? 生まれてきた瞬間のことは、苦しかったのか、誰も覚えていないでしょう。 老いることとは、換言すれば時間が経過すること。 私達は毎日毎日、いえ、毎秒毎秒老いているわけですが、 その全てが苦しみでしょうか? そんなことありませんね。 ♪人生~楽ありゃ、苦もあるさ~の通り苦しいこともあれば、 楽しいことも結構あります。 病についても、自覚症状がなければ苦しみもないでしょう。 また、入院したお陰で人様の優しさや健康に感謝することもあるでしょう。 無病息災よりも一病息災とも言われます。 死についても、死ぬことが苦しみなのか、実際に死んでみないと 分かりません(苦笑)。 死ぬ間際に脳内モルヒネが作られ、安らかに死んでいけるという学説も あります。 その他、愛別離苦以下の「苦」についても、全てが絶対的に「苦しみ」で あるとは言い切れません。 実は、この「苦」という漢字、般若心経などにも書かれているのですが、 原典のサンスクリット語では「苦しい」という意味ではないそうです。 そもそも釈尊は、古代インド(現在のネパール付近)に生まれた人で 釈尊の入滅後にまとめられたお経もサンスクリット語で書かれています。 そして、一般的に普及している漢訳された般若心経は、西遊記でお馴染みの 玄奘三蔵が600巻にも及ぶ「大般若経」のエッセンスを262文字に簡潔に まとめたもの。 激安ミュージックCD般若心経 観音経 通勤・通学に「般若心経」をイヤホンで聞くのが静かなブーム~♪ 音量を大きくして音漏れがすると、周りからサーと人が引くでしょう♪ このご利益(?)を活かして快適な通勤電車にできるかも!? 漢字では「苦」ですが、サンスクリット語では「苦しい」の意味ではなく 「思うがままにならないこと」という意味です。 とすれば、「生・老・病・死等の四苦八苦が苦しみ」であるという解釈は 適切ではないでしょう。 改めて考えてみると、生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・ 五蘊盛苦は、思うがままにしようと思っても出来ません。 つまり、思うがままにならないことを、思うがままにしようとするから 苦しみが生じるということになります。 思うがままにならないのならば、早く気持ちを切り替えて、楽しいことに 意識を持って行った方がいいですね。 人生が「今」という一瞬の連続であるならば、その「今」を楽しく、 なるべく多く過ごした方がいい。 過ぎ去った過去を悔やみ、まだ来ぬ未来を思い煩うよりも、今を精一杯 生きた方がいい (もちろんこのことと、過去の反省・分析と未来への計画・対策とは別)。 ところで、あるとき釈尊に質問した人がいます。 「私は美しい花を見たり、トゲを踏んだりすると、心が動いてしまいます。 心が動じないようにするにはどうしたらいいのでしょうか?」 それに対して、釈尊はこう諭されたといわれます。 「私も美しい花を見れば美しいと思うし、トゲを踏めば痛いと顔をしかめる。 このように私も第一の矢を受ける。 だが、凡夫は第二の矢を受けるのに対して、私は第二の矢を受けることはない」 つまり、釈尊でも美しいと思うし、苦痛を感じます(第一の矢)。 しかし、釈尊はその場を離れれば、もう先のことに心が捕らわれていません。 いつまでも思いに捕らわれることなく、次のことがらに気持ちを切り替えて います。 しかし、凡夫はその場を離れた後でも「あの花きれいだったなあ」とか 「一体、誰があんなところにトゲなんか捨てたんだ、危ないじゃないか、まったく」といつまでも思いを持ち続けます(第二の矢)。 第一の矢を受けるのは当然でしょうし、人間らしく生きるために必要です。 ですが、第二の矢を受けていては、次に来ている今を楽しめませんね。 余談ですが、交通事故を起こした人には、「夫婦ゲンカ」をしていることが 多いと聞いたことがあります。運転中も心のどこかにケンカの意識が残って いるのでしょうか。 ハードチップ用矢 Lクラス(3本セット) これはリアルの「矢」(笑)☆ 夫婦ゲンカのお供に~(ウソ:笑)♪ フィルムを入れて撮影するカメラでも、一枚撮ったら、フィルムを 巻かなければ二重取りになってぼやけてしまいます。 いつでも心のフィルムを巻いて、今という時間を楽しんでいたいですね! そして「莫妄想(まくもうぞう)」という禅の言葉、私は好きなのですが、 これは「妄想する莫(なか)れ」ということ。 読んで字の如し、考えても仕方の無いこと、人間が考えても分からないこと、 は考えなくていいよ、ということです。 もちろん、ある程度の予測を立ててその対応策を練ることとと、 上記のこととは、違いますね。 仏教の法話や、お経の物語は、様々な比喩や例え話の宝庫です。 長い歴史に積み重なった叡智を感じることが出来て楽しいです。 何だか偉そうなことを書いてしまいましたが(汗)、もちろん、私に煩悩が 多いからこそ、こういう話が好きなのでしょう。 毎日妄想を繰り返しているからこそ、「莫妄想」という言葉が好きなのです。 本当に第二の矢を受けず、日日是好日の気持ちでいられるならば、 (当たり前すぎて)こんなことに関心がないでしょうし、もしかしたら お迎えが来るのかもしれませんね(笑)。 長々と読んで下さりましてありがとうございました! 今日も心のフィルムを巻いて、どうぞ楽しい一日を~♪ ↑あ、これは本当のカメラとフィルム(←アホ:笑)~♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年04月10日 13時07分04秒
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