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カテゴリ:楽しい読書
私が密かに尊敬している桜餅さん。
お料理とテニスが好きだと仰るのは、世をたばかる仮の姿(笑)。 実は世の中の現象を帰納的に解明する思想家であり哲学者であり、求道者です。 そんな桜餅さんが日記で興味深い本を紹介されていました。 4月16日山田ズーニーさん前編 5月13日山田ズーニーさん後編 著者は山田ズーニーさん。 小論文のスペシャリストであり、これまで多くの受験指導を通じて得たメソッドが、幅広く日常生活に応用できるような本です。豊富な具体例と順序だてて細分化した内容がすっきり鱗を落としてくれます。 「伝わる・揺さぶる!文章を書く」 「あなたの話はなぜ「通じない」のか」 「NHK知るを楽しむ 日本語なるほど塾―想いが通じる!コミュニケーションレッスン」 これらの本を本屋さんで読んだのですが(買えって!:笑)、非常に有益で、新たな視点、新たな手段が手に入った気持ちになります。もちろん、一朝一夕にはマスターできないでしょうから、意識して少しずつ使えるようにし、最後は無意識で使えるようになりたいコミュニケーションメソッドです。 心に残ったことはたくさんあったのですが、そのうちの一つを書きます。 「根本思想」というものがそれで、「いくら方法論を磨いても、根本の思想(例えば恐れ)を隠して書くとその思想(恐れ)が出る」というような内容でした。 従って、根本思想をしっかり持ち、それを隠さないこと、ということでした。 桜餅さんの4月16日の日記を拝読した時にも、あることを思い出したのですが、ズーニーさんがそれを分かりやすく説明していたので、すっきり納得でした。 私が思い出したこととは次のことです。 仏教の本に書いていたことです・・・(また仏教かよっ!) ----------------------------------------- あるところに、一人のきこりがいた。 山奥に入り、いつものように斧で木を切っていた。 そこへ、「さとり」という非常に珍しい動物が姿を現した。 この「さとり」を探し求めて、どれだけ多くの人々が奔走しただろうか。 きこりは思った。「さとり」に巡り合うとは自分は幸運な男だ。 “よし、生け捕りにしよう” しかし、直ちにきこりの心を読んださとりは、からかうようにこう言った。 「お前は、オレを捕まえようと思ったな」 心を読まれてきこりがびっくりしていると、 「オレを捕まえようかというお前が、オレに心を読まれてビックリするとはだらしがねぇ話だ」 とさとりは言った。 ますます驚いたきこりは、 “ええい、小癪なヤツ!斧で一撃のうちに殺してしまおう” と考えた。 すると「さとり」は、 「おや、今度はオレを殺そうというのか。いやぁ、おっかない、おっかない」 と、逃げる身構えをした。 ホトホト呆れたきこりは “こりゃかなわん。こんな動物を相手にしていては飯の食い上げだ。 こんなもの忘れて本来の仕事を続けよう” と考えた。 「さとり」は、またまた、きこりをからかうように言った。 「ははは~。とうとうオレを諦めたか。」 きこりは「さとり」の言葉に耳を傾けず、元気を出して木を切ることに没頭した。 力一杯斧を振り上げ、木の根元に振り下ろす。 全身から汗が流れ、黙々と木を切っていく。 すると、全く偶然に、斧の頭が柄から抜けて飛び、「さとり」に当たった。 お陰できこりはこれを生け捕りにすることが出来たという。 きこりの心の動きを読み取り、きこりをからかったこの動物も、無心の心はついに読み取れなかった。 -------------------------- 少々長くなりましたが(汗)、この話とズーニーさんの「根本思想」は通じるものがあると思いました。書き手が「きこり」で、読み手が「さとり」。 読み手は自然と、書き手の真意や根本思想、人柄を察知すると思います。 私自身、文章を書くときには、ついつい多くの可能性を考えるため、良く言えば幅を持たせ、悪く言えば言い訳がましい文章になるのです。 例 「~等」←他の場合の余地を残す 「~だろうが」←である、と言い切らない 「~と言い得る」←得る、ということで他の可能性を残す 「(多くの場合)(全てではないが)」←カッコ付きで僅かに他の事が起こりうる可能性を示唆する などなど(←これも:笑)、これらの言葉を多用してしまいます。 文書の性質上、断言できないこともあるし、断言してはいけないこともあるのですが、それらと関わりのない私的な通信にも、ついつい使ってしまうのです(汗)。 ですが、私自身、後から読み直すと、回りくどくて読みにくい。自分の考えなどは、あくまで自分の考えなのですから言い切っていいはずなのに、それができない。言い切ることに対する恐れが出ているように感じます。 他の方でも意見は言い切った方が潔くてすっきりした印象を受けます。 狭い視野・狭い判断材料で、偏見に満ちた言い切りには、すっきりしませんが、ある程度確信の持った内容には言い切りも必要だと思いました。 バランスのとれた根本思想があれば、自分を守りながら文章を書かなくても読み手にはきっと伝わるのでしょう。 他にも、本当に色んなシーンで根本思想はにじみ出ると思います。 「儲けたい、儲けたい」と焦ると、お客さんはその心のうちを読んでしまいます。 お客さんは「買う」のは好きですが、「買わされる」のは嫌いです。 確かに、商人にとって「儲け」を出すことは大切です。 しかし、儲けるにしても「お客さんを喜ばせて儲ける」ことと、「客にウマイこと言って買わせて、儲けてやろう」と思うことは全く別。 大欲は無欲に似たり。自分だけの儲けや売名をがむしゃらに追うことなく、お客さんを喜ばせること、眼前の仕事に没頭することによって、結果、「さとり」という珍しい動物を捕まえることが出来るのだと思います。 また歌手や俳優にしても、歌唱中・演技中に頭の中でソロバンをはじくことはないでしょう。それよりも、自分の大好きな歌や演技に没頭していると思います。 日本一の商人、斎藤一人さんも、お弟子さんたちに最初にお話したのは「商売のコツ」ではなくて、「心が豊かになる話」だったそうです。まず初めに、己の心を豊かにし、相手の幸せを願うことが大切なのでしょうね。 同じようにコミュニケーションも、まず根本思想をしっかり(豊かに)することが大切。その上で、コンスタントに意思を上手く伝達できるような方法論を学ぶことが大切なのだと思いました。 (本にあった例ですが、お受験に失敗した子のママが他者の言動を自分への嘲笑・攻撃だと思い込んで、他のママさんと対立する場面がありました。これも、内心の怒り・劣等感・自己防衛・問題の所在のすり替え等、劣等感で固められた根本思想がにじみ出た結果だと思いました。対応するママさんには、感情に流されず問題の所在を把握して、対立を避ける方法が書かれています。) もちろん、これらは車輪の両輪のような関係で、根本思想をしっかりしながら、方法論を学んでもいいし、方法論を学ぶうちに根本思想も確立してくるのだと思います。 精密に書かれた文章からは意外とも思える(?)キュートな山田ズーニーさん、家庭や仕事やお友達とのコミュニケーション力を高めたい方には一読の価値ありです。 「根本思想」に焦点を当てて書いてしまいましたが、多くのページが割かれているコミュニケーションの方法論は非常に有益です。例えの文章で、感動したくらいですから(笑)。 そしてズーニーさんの方法論にも感動したのですが、それより、文章からにじみ出る彼女の誠実さ、真摯さに心打たれました。彼女の心に感動しました。ズーニーさんの根本思想が響いて来るくらい誠実さがにじみ出ています。 私も根本思想をしっかり持って、変に守りに入った文章ではなく、自分の意見は意見としてしっかり書いていこうと思いました。 もちろん、傲慢になるのではなく、また、独善になるのでもないのですが、意見は意見として書いていこうと思います。 最後まで読んで下さり、ありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年05月16日 17時34分08秒
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