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土曜日がお通夜でした。
土曜日の昼間に私と旦那さんは礼服に着替え、カコとマコは黒っぽい服装、 ユータは幼稚園の制服で、車で実家へ向かいました。 着くと、祖母が「おじいちゃんに線香を上げてあげて」と言い、 棺の前へ。 「わかばやマコたちがやってきましたよ」といい、 棺の扉を開けて顔を見せてくれました。 病気わずらいなどではなかったので、本当に寝ているような顔でした。 27日の朝8時頃に倒れ、救急車で運ばれた祖父。 そして、11時頃心肺停止。 12時頃に死亡を確認したそうです。 ほんの少し苦しんだだけで亡くなったと聞いています。 死因は、動脈瘤破裂による出血死らしいのですが、 脳梗塞も起こしていましたし、心不全も起こしていたそうです。 他の臓器も機能が低下していて、もう何があっても助かることはなかったそうです。 子供たちは無邪気でいるから、その様子を見ているだけで 悲しみを紛らさすことが出来てよかったと聞いていましたが、 うちでは逆でした。 いなかったほうがよかったかな・・・と。 でも、カコとユータを預かってもらうには、 義母がまた愛知からでてくることになるので、連れて行くしかありませんでした。 棺おけの前で私が涙を堪えてると、「ママ、目が赤いよ。どうしたの?」とカコ。 泣いてると「ママ、どうして泣いてるの?」とユータ。 「ひいじいちゃんどうしてここに入ってるの?」とユータ。 子供たちから離れて、そっと一人で棺おけの前に座っても どこからか二人が現れて、私に付きまといます。 放っておいて。 ママじゃなくて、おじいちゃんの孫でいさせてよ・・・。 悲しみにくれていられたのも、お通夜がはじめるまでした。 私は受付をすることになり、子供たちは旦那さんが見てくれました。 お通夜の最中、受付をしている後ろの部屋で人の気配がするので、 「もしかして、おじいちゃん?」と思ってみてみたら、 仕出し屋さんだったという笑えない話もあったりしました。 それでも、幽霊でもいいから出てきて欲しかったな。 お通夜もお通夜の後の食事も、旦那さんが子供3人を一手に引き受けてくれたので、 本当に助かりました。 結婚して一番頼りになった瞬間でした。 旦那さんと子供たちは2階のリビングで食事をして、 私は、祖父や祖母の親戚の方々のところで話をしたり、 料理を取り分けたり、ビールを注いだりと、接待(?)みたいなことを。 祖父と祖母は同郷なので、祖父や祖母の昔の頃の話を聞けてたりしました。 この場に祖父がいたら、本当に喜んだだろうと思いました。 いっぱいお酒飲んで楽しんだことでしょう。 やっぱり祖父母の親戚も大切ですが、 旦那さんにも気を使わないといけないところ。 (嫁の実家でくつろげないですものね、やっぱり) 途中途中で「食べてる?」などと顔を出していました。 ちょうどご機嫌伺いに階段を上っていると、 旦那さんの「うわぁっ!!」との声。 急いで行くと、ユータが吐いた直後でした。 旦那さんがうまく寿司桶にキャッチしていましたが、制服はゲロまみれ。 「後もう少しだから、食べなさい」と言って食べさせたところ吐いたと。 いつものことです。 ただ、旦那さんはユータが吐いたのを見たのは初めてだったので、 ビックリした様子。 でも不思議です。 どうやったらあれほど上手に吐けるんでしょう。 オェッ、ゴボッ・・・ですから。 とりあえず、洗面所で下洗いをした後、勝手に実家の洗濯機を借りて洗濯。 ユータはもう食べなくていいといわれて、元気そのもの。 ソファーで遊びまわっています。 後から聞いたところ、ジュースを大量に飲んでいたとの事。 原因はコレだと思う。 ゲロの片づけをして、また旦那さんに子供たちを任せて私は階下へ。 食事の後も、お茶を出したり、お菓子を用意したりと大忙しです。 そして、祖父母の親戚も帰った後、私たちもどうしようかと思っていたところ、 「泊まっていけば?」と母。 実家と自宅に結構距離があるので、 もし自宅に帰っても6時過ぎには起床して出かけないといけないから、 最悪ホテルに泊まろうかと話し合っていた私たち。 一応念のためと旦那さんのYシャツと下着。 カコとユータのパジャマと下着。 (私と旦那さんは、ホテルに浴衣があるだろうと持ってきませんでした) あとマコの服とユータの服はボストンバックに入れて持ってきていました。 でも、私と旦那さんとカコの服はすっかり忘れてました。 なので、急遽11時過ぎにドンキホーテに行って旦那さんのパジャマを買いに行き、 道に迷い時間が遅くなり、母に叱られました。 私は弟の服を勝手に拝借。 「持って帰るなよ」と釘を刺されました(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.08.08 09:38:58
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