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昨日故障したガス給湯器は、修理がきかず買い換えることになった。
今日は娘のところへ、もらい湯に。 昨夜、昔のことを思い出していた。 5-6才の頃まで、夏はたらいに水を汲んでおき、温かくなった日向水で行水していたのだ。外で遊んでかいた汗を石鹸つけて洗った後は、祖母が別のバケツに汲んでおいた水で、かけ湯をしてくれたものだった。私はお婆さん子だった。 あの頃は外から見えない中庭で、大人も行水することが多かった。 祖母のお腰(おこし=腰巻のこと)姿なんかを、ふいに思い出す。 家にはお風呂がなくて、普段は近くの銭湯へ通っていた。 銭湯が火事になるという、事件もあった。あの夜はじめて火の粉というものを知ったのだ。 お風呂付の家になったのは、小学5年生位のときではなかったろうか。 懐かしく思うところが、ところが、「たらい」と「行水」という言葉がすぐに出てこなかった。ベビーバスみたいなもの、湯浴みのこと、とか言ってみてやっと思い出せたのだ。考えてみれば50年前の私の、田舎の暮らしの一部である。 こんなに生活の様式が変わって、死語となる言葉や、言葉は同じでも別の形をとってくるものなど、モノの流れも記憶だけを残しその記憶もあやうい。 楔の一つも打ちたいところですが。 ほとんど関係ないのですが、1945年(昭和20年)6月19日に、木下杢太郎の書いた「ゆきのした」の絵葉書を、アップしました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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