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カテゴリ:ドイツ・スイス・フランス
●ヴァンドーム広場
もともとはルイ王朝期にマンサールの設計により、ルイ14世の騎馬像が建てられていた。 ナポレオンの時代に移り、アウステルリッの戦勝記念として、オーストリア・ロシア軍からの戦利品である青銅砲砲身1200門を鋳潰して、頂上にナポレオンの像を配する塔に建て替えられた。(1810年) 1871年3月18日にはじまったパリ・コミューン派によって塔が破壊される。 このときパリ・コミューンの指導者だった画家のギュスタフ・クールベは72日間の短命に終わったコミューン派終結後、塔破壊の罪を問われ禁固6ヶ月の有罪判決を受けている。 その後追放されスイスで亡くなったという。 オルセー美術館に収蔵されていた彼の作品を思い出しました。 クールベは芸術家連盟の創設にも携わり、その長にも就任していたそうです。 この塔は1874年に復元されたということです。 司法省や高級有名店、ホテルが立ち並ぶ ショパンの住んでいた家もあるそうです 撮影風景にも出会いました 「仏作文」 ジャック・プレヴェール作 若いときナポレオンは痩せっぽっちでした 砲兵仕官となり ついで皇帝になりました するとかれはおなかが出っぱりたくさんの国を攻め落としました 死んだとき かれはまだ 出っぱったおなかを持っていました しかし背(せい)は少しちぢんでいました (世界詩人全集18 新潮社 昭和43年発行)より お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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