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また、本能寺事件の直後に細川藤孝宛て光秀書状が東京の永青文庫で公開されたことも聞き知り、戦略シミュレーション研究の観点から、この問題に興味を持ちました。 結論は、光秀が四国侵攻を阻止するため、本能寺事件を起こしたことを確認し、 また光秀が命じられた山陰道攻略が堅い出雲の防衛に滅亡必至の捨て石作戦で。 信長自身は秀吉と山陽道を下関まで突進し、毛利を制服して凱旋、 関白太政大臣となり、二条新造第にいた誠仁親王を新天皇に即位させ、安土城に行幸させて天下に号令する、という《本能寺事件がなかった場合》のシミュレーション結果から、 光秀はこれも阻止しようと行動に出たと判断しました。 細川書状から推理するに、光秀は、長宗我部との交渉に失敗して元親が毛利と同盟したことで、信長から裏切りもの扱いをされたこと、 もし山陰道で敗戦したら切腹も許されずに上意討ちで首をはねられるという恐怖に切迫していたと想定します。 したがって、従来の《光秀は怨恨によって信長に復讐した》という考え方は根本的に間違いだと考えます。 光秀は、自分が虫けらのように殺されるだろうという浅ましい恐怖から、やむなく信長に反撃したのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 18, 2015 07:39:28 PM
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