カテゴリ:インド舞踊 オディッシー
私にとってオディッシーは、
東インドの古典舞踊という域を超えて、 私が人生をかけてやらねばならぬあることを、 実現するためにかかせないものとなっている。 それがはっきりしたのが、去年の夏。 それ以来、それに向かって 私の中でいろいろ動き出したのだが、 動き出した矢先に、師匠が静養に入ることとなった。 踊れなくなるかもしれない そう師匠が言ったとき、 そんなはずはないと直感で思ったのだが、 自分でも 何を根拠にそう思う? と思ったのである。 でも、なぜだかわからないけど、 なにかが私にそう思わせたので、 それを信じることにしているのだけど… 師匠が実際に奄美に静養に行かれてから、 私にとって、オディッシーってなんだろう? とか、 師匠が踊れなくなったら、どうする? とか、 他の師をさがすのか? とか… いかに今まで自分が師匠に頼ってきたか、 もう一度、踊りに対しての姿勢を見直す きっかけとなったこの1ヶ月間。 さまざまなことを考え、踊り子仲間とも話をし、 最終的に今思うことは、 何があっても踊りは続けていこう ということ。 やはり、私がやらなければならないことの為に、 オディッシーは必須なのだ。 これ以外には考えられない。 そして先日、久しぶりに師匠に会った時、 私は、この人に教えてもらいたい と思ったのである。 今回の静養は、言葉では言い表せない出来事だったと思う。 それはもう、なんというか、会っている間中ずっと、 ひしひしと伝わってくるものがあって… でも、なにか今まで以上に透明で、すっきりとした その表情を見ていたら、師匠の中に、 なにか新しいステージを感じて… 再び そんなはずはない と思ったのだった。 なので、私は自分の直感を信じてみようと思う。 今までも信じてきたしね。 今までは、師匠がこと細かに動いて見せて教えてくれていたことは、 本当に恵まれていたことであって… なので、今まで以上に、 自分で探究しなければならなくなるけれど、 それは当然やるべきこと。 これからは、今まで以上に腹をくくってやらねばならんのです。 師匠のように、華やかで、馨しく、滑らかに踊りたい。 紫色の動線を描きながら、 空間いっぱいに美しい華を咲かせたい。 そして、最後の演目では、 お寺や神社のような凛とした空気を漂わせるのだ。 その演目が終わると、空間すべてが浄化されるような、 そんな踊りがあの場所で踊れるように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
April 1, 2008 12:28:20 AM
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