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2007.03.09
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カテゴリ:日常生活

仙台メディアテーク内の市立図書館から借りてきた本の第二弾です。

春は残酷である

「春は残酷である」 星三枝子著 昭和52年発刊(2001年再発刊)

この本は、二十歳の時に整腸剤の副作用(薬害)から スモン(SMON)を発症した方の手記です。

スモン(SMON)

『症状は、下痢や腹痛などの激しい腹部症状から始まり、

やがて両足先から下半身にかけてしびれや知覚異常、運動障害が起き、視覚障害を起こす。

重症になると手足が動かず、失明する例もある。

死亡率は4パーセント程度とされているが、治癒が困難で下半身マヒなどの後遺症に悩む患者が多い。

昭和30年代松に岡山、埼玉などで大量発生して注目を浴び、以来全国で患者が急増した。
厚生省は44年、スモン調査研究協議会を設け、全国で約1万人の患者を確認する一方、発生原因が整腸剤キノホルムの服用にあるとの疑いを深め、45年9月、キノホルム製剤186品目の販売・使用を禁止した。』

 

著者の星三枝子さんは、昭和二十四年、福島県南会津郡田島町生まれ。

昭和四十四年六月、会津若松の呉服店に勤務していた時、職場の社員旅行の後に下痢が止まらず、体調不良が続きました。

同年7月上旬に病院に行き、整腸剤(キノホルム)を処方されましたが、症状がますます悪化し、12日後に入院しました。

入院後、歩行困難・排泄自力不能・全身の激痛など、続々と「スモン」の症状が出て、視力の低下も激しく、同年10月には失明してしまいました。

当時は、原因が「キノホルム」の薬害とハッキリ分からなかったため、入院後も1年2ヶ月にわたって投与されていたそうです。 

 

以下は、三枝子さんの主治医であり、キノホルムを投与した医師の言葉です。

「キノホルムを長い期間使って悪かった。スモンの原因はキノホルムです。

私を訴えて下さい。どんな罰でも受けます。覚悟は出来ています。出来るだけのことはします。

テレビや新聞でスモンのニュースのある度に頭があがりません。」

これに対し、星三枝子さんは怒りをぶつけながらも

「わたしの病気をなおしてあげようと思えばこそ投薬したのだろう。

先生も被害者と言えるかもしれないとも思ってみた。

先生には私とあまり年の違わないお子さんがいらっしゃる筈、私を見る度に心を痛めていらっしゃるかもしれないと思ったりもしてみた。」と、書かれていました。

 

(星三枝子さんのその後です。)

昭和51年 二十七歳 キリスト教の洗礼を受ける

昭和52年 二十八歳 「春は残酷である」を出版

昭和54年 三十歳  国および製薬会社との和解が成立

平成四年九月八日 四十三歳 風邪からきた肺炎で逝去。

 

りと様は、子供の頃に、テレビで星三枝子さんを見たことがあります。

病室でのインタビューだったのは、なんとなく覚えていますが、幼い時だったので、星三枝子さんのお顔は全く思い出せません。

全身マヒの中、リハビリによって、手の機能だけは回復し、編み物や点字が出来るまでになったそうです。

既に亡くなられていたのは、今回、本を読んで初めて知りましたしょんぼり

 

本の題名の「春は残酷である」については、本の「はじめに」で触れていました。

イギリスの詩人エリオットは「四月は残酷な季節である」と詠んだそうです。

「春を迎えてそれを喜び、夏が来てそれを謳歌し、秋になってそれに哀れを覚え、

冬が来ればその中に春遠からじを感得することが出来るのは、我々の心身が健やかである証拠である。

(中略)

外界の変化に心身の同調が伴わなければ(中略)それは春ではない。終わりのない冬である。

そのように病み喘ぎながら、それを治癒する方途すら見出し得ないとするならば、

我々現代人にとっては、昔日の至福の春も残酷な季節としか呼びようがない。」(西村祖一氏による前書きから引用)

 

こちらは下矢印、星三枝子さんの手記です。

『 「誰だって一度は死ぬ。そして死ぬ前にほとんどの人が寝たきりの状態になる。

だから私はその人よりも五十歩も百歩も前に先にきてしまったのだ」 と思った。』

 

『病院での多くの患者さんとの付き合いは、私にとって得ることが多かった。

病院生活には、何か社会の裏側を感じさせるものがあった。

(中略)

知らない人なのに私のところへ来ると、いきなり「ネエちゃん目が見えないんだって、病気は何だ」なんて私の気持ちを無視し、好奇心をむき出しにして聞く人がいる。

私はその人がどんな気持ちで聞いたりするのか、だいたい察しがつく。

でも、私はその度に「世間って、そんな人が多いんだ」と、自分に言い聞かせる。』

 

本に書かれていたお母様の手記によると、

先生に「星さん、足と目のどちらか役に立つと言ったら、第一番にどちらを取りますか」と、言われたとき、

三枝子さんは 「足を取ります。母がいつまでも健康であれば良いが、もし母が病気になったら自分の用足しができます」と、言われたそうです。

排泄が自力不可能となった三枝子さんは、いくら親子の仲でも恥ずかしく、お母様を気の毒に思われたようで

涙を流しながら「母さん、すまないなァ。今度生まれ変わったら親孝行します。」と、言われたそうです。






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最終更新日  2007.03.09 19:13:00
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