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2007.10.18
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テーマ:鉄道雑談(1541)
カテゴリ:旅行

 最近、りと様が、寝る前に眺めている本を紹介します。

 鉄道廃線跡を歩く(2)

上矢印この本には、全国の廃線となった私鉄が出ていて、羽後交通横壮線(秋田県・昭和46年営業廃止)、仙北鉄道(宮城県・昭和43年廃止)、筑波鉄道(茨城県・昭和62年廃止)、蒲原鉄道(新潟県・昭和60年廃止)、沖縄県営鉄道(戦時中まで)などが載っています。

この本の編著者は、宮脇俊三(みやわき しゅんぞう、1926年12月9日 - 2003年2月26日)です。

故・宮脇氏は、埼玉県川越市出身。

東大文学部を出て中央公論社に入社。同社の常務取締役を経て、1978年に退社。

以後、鉄道での旅を中心とした作品を数多く発表しました。

 

新潮社発行の月刊誌に「旅」という雑誌がありますが、2004年10月号で、作家の関川夏央が宮脇俊三について記述している文章がありました。

以下下矢印、関川氏が書いた文章をざっと抜書きしてみました。 

「宮脇俊三は、鉄道ファンであることを長く同僚に秘していました。
週末や正月休みを利用して汽車に乗りに行っていた宮脇俊三が、骨がらみの鉄道ファンであることを「カミングアウト」したのは、編集者キャリアも終わりに近い頃でした。その時48歳だった宮脇は、1975年9月頃、国鉄二万キロ余の「乗りつぶし」(全線完乗)を思い立ったのです。

 

1970年代は国鉄最盛期、というより総延長がもっとも長い時代で、いまはもう時刻表にない路線の数々が、まだ輝いていた時代でした。

1975年9月頃から「乗りつぶし電車」をはじめた宮脇俊三が、国鉄足尾線を最後に全線完乗を終えたのは1977年5月のことでした。  

気仙沼線

さらに1977年12月に気仙沼線(上矢印画像)が全線開通したので、
彼はこの気仙沼線にも乗りに行って、「時刻表二万キロ」の旅を終えました。

宮脇俊三が全線を乗り終えると、中央公論社の同僚達が祝賀会を開いてくれたそうです。
その席で、宮脇は、秋葉原の国鉄御用達の店でわざわざ求めたという「駅長の帽子」と切符のハサミを贈られ、
皆で「線路はつづくよどこまでも音符」を合唱したそうです。(雑誌ノート『旅』2004年10月号より引用)」

音符線路はつづくよ どこまでも
野をこえ 山こえ 谷こえて
はるかな町まで ぼくたちの
たのしい旅の夢 つないでる

音符線路はうたうよ いつまでも
列車のひびきを 追いかけて
リズムにあわせて ぼくたちも
たのしい旅の歌 うたおうよ

宮脇俊三は時刻表2万キロの中で、この時のことを「もう乗るべき線路はないけれど、やはりいい歌であった」と、書いていたそうです。

彼は2003年に亡くなりましたが、戒名は「鉄道院周遊俊妙居士」だったそうです。






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最終更新日  2008.04.22 22:26:57
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