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カテゴリ:日常生活
昭和後期から平成にかけて、「昭和」を代表する石原裕次郎(昭和62年7月17日死亡・享年52歳)と、美空ひばり(平成元年6月24日死亡・享年52歳)が相次いで亡くなった事は、りと様以上の年齢の方なら皆、御存知のことと思います。 ちなみに、石原裕次郎が亡くなった時、りと様は女子高生でした。 たまたま裕次郎が亡くなった時期が、ちょうど期末テスト(だったと思う)で家に早く帰れたので、連日ワイドショーに釘付けでした。 偶然、その時期に家に遊びに来ていた母の友達が「毎日テレビを見て泣いている」と話していたのを未だに覚えています。(ちなみに、りと様の母は特に裕次郎のファンではありませんでした。) 美空ひばりが亡くなった時は、りと様は埼玉に住んでいて、その日はちょうど土曜日でした。 朝から激しい雨が降り続いていて、「ひばりが亡くなった」という正式発表は遅い時間までなかなか伝わらなかったのですが、異変を察した報道陣によって美空ひばりの家が囲まれていた映像をハッキリと覚えています。 なぜこんなに克明に覚えているかというと、たまたまその日は、重要な用事のため夕方から出かける予定があり、朝から緊張していたからなのでした。 最近、またまた本棚で眠っていた「裕さん、抱きしめたい(昭和63年7月17日発行)」という本を読みました。 この本は、まき子夫人が、裕次郎との出会いから結婚生活、そして闘病~亡くなるまでをたくさんの写真と共に綴ったものです。(楽天ブックスでは品切れとのことです。) この本の最後には、平成9年に六版発行と書いてありますが、正直、いつ買ったのか全く覚えていません。 りと様が読み返すのは、約20年ぶりでした(例の裕次郎ファンの母の友達が初版発行当時(昭和63年)に無理やり母に貸していったのを、りと様が読みました。) 昭和44年3月、石原裕次郎は「栄光への5000キロ」アフリカロケ地より、手紙と共に押し花を添えてまき子夫人に送ったそうです。(「裕さん、抱きしめたい」より) 約20年ぶりに読み返して感じたことは、「愛する人に先に死なれるということがどんなに辛いか」と、いうのが身に染みました・・ 10代の頃に初めて読んだ時は、本に載っているたくさんの写真を見て「二人がいかに愛し合っていたか」ということは分かったのですが、手記の中身についてはあまりピンときませんでした。 それが、りと様なりに旦那と約10年結婚生活を続けたことで、夫婦間の機微などはいちいち身につまされる内容が多く「分かるな~」と感動しっぱなしです。 裕次郎ファンの方もそうでない方も、ブッ〇オ〇などで「裕さん、抱きしめたい」を見かけたらぜひ読んでみて下さいませ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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