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カテゴリ:日常生活
りと様は、ふだんから「人間は明日死ぬかもしれない」ということが常に頭の片隅にあります。 これは、子供の頃、親戚に交通事故で亡くなった人がいるせいかもしれません。(亡くなったのは当時80歳近いお婆さんで、通院していた病院を出て駐車場を歩いていた所、後から車にぶつけられ、それが原因の心不全で、事故から数時間後にあっというまに亡くなったのでした。) それとは別ですが、歴史上に名を残している人物も、意外と早く亡くなっていたりします。 高杉 晋作(享年27歳)、吉田松陰(享年29歳)、坂本龍馬(享年33歳)を思うと、一体、りと様は今まで何をやってきたのか・・・と、いう気持ちにさせられます。 少し前までは、「自分は子孫も残せない運命かもしれない」と覚悟していたので、今死んだら駄ブログの「ると小屋」しか残らないのではないか。。と、ひそかに思っていました。 今日紹介する本は、数年前に購入してまたまた本棚に眠っていた本ですが、有名人の臨終の様子がそこそこ詳しく記述されています。 「一冊で歴史を彩った100人の死に際を見る」得能審二著 友人社刊です。 楽天ブックスでは品切れでしたが、アマゾンでは購入可能でした。 この本には、上にあげた高杉晋作、吉田松陰、坂本龍馬の最期の様子も書いてあります。 この中で、りと様が特に印象に残ったのは宮沢賢治(享年37歳)の最期の様子です。 宮沢賢治が亡くなるまでの6年間は、熱と喀血に襲われつづけ、本人も家族も慣れっこになっていたそうですが、昭和8年9月20日に容態が急変して呼吸困難となり、医師には急性肺炎と診断されました。 以下、本の内容を引用します。 「翌9月21日、午前11時半、二階から突然『南無妙法蓮華経』と声高に唱題する声が聞こえてきた。 (中略) 賢治はおびただしい血を吐きながら題目を唱えているのだった。そして、急いで喀血をふき取る母に『長らくお世話をかけました。』とていねいに礼を言った。 その様子をみて父親が「なにか言い残しておくことはないか」と言って紙と筆をとりだすと 賢治は「戸棚の中に詩や童話の原稿がありますが、あれはしょせん迷いの跡だから発表しないでください。 お願いしたいのは、国訳法華経1000部を印刷して知人、友人に送ってください。 (中略) 私の全生涯の仕事は、この経をあなたのお手許に届け、その仏意にふれて、あなたが無上道に入られん事を願うの外ありません、という言葉を添えてください」 父は了承し、「お前はなかなか偉い」と言って階下に降りた。 賢治は「おれも父さんにほめられた」と言って喜び、母から水をもらうと、うまそうに一口飲んだ。」(一冊で歴史を彩った100人の死に際を見るより) 宮沢賢治が37歳の生涯を閉じたのは、それから約2時間後のことでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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