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カテゴリ:本
今回も宮澤賢治ネタになりますが、またまた「先生はほほーっと宙に舞った」 鳥山敏子著 自然食通信社刊1992年発行 から、面白かった部分を抜粋して紹介します。 花巻農学校時代のある教え子が、賢治が学校を辞めたあとにつくった羅須地人協会へ冬に行った時、「山中(やまなか)料理をごちそうするから、まんず遊んでいけ」と、言われたそうです。 「山中料理って何かと思っていたら、茶碗に入れたごはんをお膳に何杯もうつぶせにしてならべているのを持ってきた。ごはんはカンカンに凍っているわけだ。 ちょっとウィキで「冷凍食品」について検索してみた所、アメリカで冷凍食品が「未来の食品」としてもてはやされたのは1950年代、日本で広まったのは1960年代以降・・とのことです。
「この四ヵ年が わたくしにとってどんなに楽しかったか わたくしは毎日を 鳥のやうに教室でうたってくらした 誓って云ふが わたくしはこの仕事で疲れをおぼえたことはない」(宮澤賢治『生徒諸君に寄せる』)
また、教え子の中には花巻農学校卒業後、教師になった人もいました。 が、その方が教師をやっている時には、花巻の農村の方の人たちの間でも「何!宮澤賢治、全くおかしな人だ」と、噂されていたそうです。 「(以下引用)種山ヶ原の方から来たお嫁さんで77~8歳になる人が(1990年当時)『お嫁に来た頃の賢治先生はさっぱり評判も何もよくない。ありゃ宮澤家はだめになる、だめになる。あのバカ息子が生まれて全く、 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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