北海道の大雪山系トムラウシ山で10人が死亡する山岳遭難事故がありました。
りと様は、基本的に面倒くさがりで歩くのがあまり好きでない人間なので・・・登山は全くしないし今後もする予定はありませんが、ネットで他人の登山日記を読むのは好きです。
がっ、野口健さんのブログを読むと、チョモランマなどの高い山では、人って簡単に亡くなるんだな・・と、驚かされます。
「死者は還らずー山岳遭難の現実」丸山直樹 山と渓谷社1998
りと様の手持ちの本ですが、楽天ブックスでは売り切れのようです。
この本の中に、1994年2月に起きた「福島・吾妻山(あづまやま)」での遭難事故(7人中5人死亡)のことがリアルに書いてありました。
以下は、本の中身の引用です。
「1994年2月13日8時ごろ。雪桐の外に出る。すごく寒かった。視界は数十メートル。ものすごい風。
十一時三十分ごろ。このころからk(41歳、女性)が遅れ始めた。
十二時三十分ごろ。(中略)Kのそばに行くと「もうだめ、私、動けない」と言った。
(中略)
M(女性、54歳)もそのうちに「私も眠くなっちゃった」と言い
(中略)
Kは、最初のうちは声をかけると「うん」と言っていたが、座り込んで十分ほどで「私、だめみたい」と言った。
時刻不明。完全に暗くなっていた。
S(リーダー、68歳)のために雪洞を掘ったが、Sは目が見えないようで、それを崩してしまった。
夜。H(男性、38歳)はSに「迷惑かけて申し訳ない。ぼくたちはもうだめだ。みんなによろしくね」と言われた。
翌二月十四日。
意識があったのはH(男性、38歳),N(女性、43歳),O(女性、37歳)の三人だけだった。
そばの雪洞の四人のそばに行き、声をかけて体を揺すったが、返事はなかった。
四人とも、体は固くなっていた。
出発するために「Oさん、早く行こうよ」と呼んだが、Oはなかなか雪洞から出てこなかった。
いっしょに出発しようと誘ったが、
「私、もうここでいい。動けそうもない。心残りもないし、Nさん、親切にしてくれてありがとう」と言われた。
Hも「ここにいたんじゃ、みんなと同じになっちゃうよ」と言ったが、Oは結局、出発しなかった。
最後に「私も行き着けるかどうかわからないけど・・」と言って、Oと別れた。
その後HとNは、白浜の尾根から滑川温泉へ下る途中の沢で一晩ビバークしたあと、全身に凍傷を負ったものの、自力で滑川温泉に下山した。(以上引用)」
りと様は、おそらくこの事故の直後だと思いますが、NHKで「吾妻山遭難事故」が特集されたのを見たことがあります。
あの頃のNHKは今より優秀だったと思うので、番組からは冬山の恐ろしさがリアルに伝わってきました。
さらに、その頃、りと様は福島には住んでいなかったので誰に聞いたか忘れてしまいましたが、滑川温泉に辿りついた時の無事だった二人は、息も絶え絶えで「ものすごい?状態」だった・・という話が未だに忘れられません。
こちらもりと様の手持ちの本で、1964年1月に起きた「岩木山での大館鳳鳴高校生遭難事故(5人中4人死亡)」の記録です。
これまた楽天ブックスでは売り切れのようです・・。