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テーマ:旅のあれこれ(10281)
カテゴリ:古い絵葉書・写真
昭和の時代にあった遊園地第二弾は、 千葉県習志野市にあった「谷津(やつ)遊園」を紹介します。 谷津遊園を運営していたのは京成電鉄で、黒字経営だったそうですが、 東京ディズニーランド(1983年開園)への京成の経営参画が具体化し、同一母体での競合を避けるため、惜しまれつつ1982年に閉園したそうです。
この遊園地も、開園していた当時は全く知りませんが、 りと様は、この「谷津遊園跡地」の近くに部屋を借りて住んでいたことがあるのです。
マンションが密集している所が、谷津遊園跡地です。 マンション・・と、いうか、公団だったかも・・。 似たような写真ですが、上の二枚も遊園地跡の公団ですね。 手前に広がるのは「谷津干潟(やつひがた)」です。
遊園地開園当時のバラ園。 現在も場所をうつし、「谷津バラ園」として残っています。 画像は93年に撮影したものですが、当時、バラ満開の週末はめっちゃ混みますた・・。 バラの季節だけでなく、一年中、入園は可能です。入園料が¥100くらいだったかな・・(うろ覚え)。 ここに、遊びに来た両親や友人を連れて行くと、皆、喜んでくれたことを思い出します。 遊園地跡のマンション(公団?)脇には広々とした公園があり、その一角に「読売巨人軍発祥の地」があります。 これは、昭和9年、正力松太郎氏がアメリカの大リーグ選抜チーム(ベーブルースら)を日本に招聘した時、 対する全日本チームは、六大学の選手を中心としてつくられました。 彼らは、谷津遊園内に完成した谷津球場で練習を重ね 、これが、後の読売巨人軍につながったそうです。 これは、2000年に、旦那と共に再訪した時のもの。
習志野市谷津は、りと様にとっては、とても住みやすい町でした。 なので、引っ越す時は悲しかったです。いや、マヂで・・ 機会があったら(あるのかって感じですが)、また住んでみたいですね~ 子供が幼稚園に入って、「旅」が記憶の片隅に残るようになったら、「思い出の地」を親子で再訪したいと思ってます。その日が来るのが、今から楽しみです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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