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カテゴリ:東日本大震災の記録
地震以来、お世話になっている義実家から自宅へ一時帰宅し、片付けより先にパソコンを開いているりと様です。まあ、昨日で、だいたいの「人の通り道」と「ある程度の空間」は作ったんですが・・。 ブログにメッセージを入れてくださった皆さん、ありがとうございました。今、すべて確認しました。 大変な災害の中、しぶとく生き残ったりと様ですが、これからも寿命をまっとうするまでこの「小屋」は続きますので、どうぞよろしくお願いします。 ただ、当日の夕方、停電で真っ暗な上、モノが散乱している家の中に入ったときに、 娘はなんらかの「恐怖」を感じたらしく、以来、自宅へ連れてくると泣き叫んで玄関から逃げようとします・・。自宅なのに「帰れない」「入れない」となると、本当に困ってしまいますね。 地震で倒れた洋服ダンスです。 この部屋で、娘が遊んでいて箪笥の下敷きになったとしたら、間違いなく死んでいたんじゃないかな・・。 自宅を留守にしていたのは幸運だったと思います。 地震当日、太白区でみかけた建設会社。傾いて倒壊寸前になっていました。
画像の中心に、人々が集まっている様子が写ってます。この時点ではラジオで「8人死亡」と伝えていましたが、りと様は「そんなはずはないな・・、阪神大震災以上になるんじゃないかな。」と、思いました。 街中に入ったら、大渋滞で全然動かなくなりました。慢性的に渋滞気味でも、いつもは二十分くらいで通り抜けられる道路が、この日は二時間以上かかったかな・・。 幸いだったのは、前回の日記にも書きましたが、立ち寄ったスーパーでトイレをすませていたことです。あの時、あのスーパーのお手洗いに寄らなかったら、間違いなく子供のオムツで代用することになっていたと思います(汗)。 大渋滞の中、娘は大人用のパンを半分とバナナ一本を食べ、車内でう〇ちをしました。 ふだんは、そういう準備はしてないことの方が多いのですが、この時は幸いしました。 全然脈絡はありませんが、仙台市内では一部、水が出るようになった地域もあるそうです。 昨日は、知人宅でシャワーを使わせてもらえたので本当にありがたかったです。 娘は「よそのお風呂」に拒否反応を示して大変でしたが、なんとか強制的にシャワーを浴びさせました。 地震以来、お腹が妙にゆるいので、お尻が真っ赤で悲惨なことになっています。
遠く、仙台港の方で、石油タンク?が燃えている煙が写っています・・。 今日撮影。 地震の時の記録の続きは後日、また書きます。 更新日 2011.03.15 14:13:33 (2015年3月追記= 当時の娘は言葉があまり話せず多動でした。シャワーを借りたお宅のテーブルの上に登り、そこの家の三十代の娘さんに「テーブルに登っちゃだめよ」と初めてよそ様に御注意をうけ、この時のことを思い出すと何ともいえない気持ちになります。 また、義父母宅に滞在していたストレスからか三〜四日目から下痢をしていたのですが(元気で食欲もあった)、老人二人に「軽症患者の病院に連れて行け」「こういうのは急患でいいんだ」と繰り返し言われ「非常時の怪我人等で単なる下痢など相手にされないであろう」ことを言っても納得してもらえず、大変でした。) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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