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カテゴリ:東日本大震災の記録
最近、気になったニュースはこちらです。 仙台市立小学校の大多数に当たる96校が、修学旅行先を当初予定していた福島県会津若松市 から別の場所へ変更していたことが2日、市教育委員会への取材で分かった。福島第1原発事故の
りと様の勝手な見解を書きますと、 福島県とはいえ、「会津」「中通り」「浜通り」は、気候も風土も方言も違うし、 はっきり言って、「三つそれぞれ、別の県に近いんだけど・・」って感じですね。 会津は、県内でも放射線量の数値も低いんですが(0、15)、 「(保護者には)、専門家の意見を参考に『安全です』と、答えても、通じない場合が多くて困っています。(今週号の週刊新潮より引用)」の一言に尽きるんだと思います。
話は変わって、りと様の実家のある福島市では、ずっと放射線量の数値が変わらないのですが(1,47)、※仙台市は(0,073) これも、りと様の見解を述べますと、 「ハッキリ言って、どうしようもない。」って感じですね。 実家には母が一人で住んでますが、娘であるりと様が住む仙台の狭いマンションに簡単に避難と、いうわけにもいかないし、 「どこにも行きようがない」ってのは、ほとんどの福島市民がそうであろう・・、と、想像します。 市内の小中学校では、「暑いのに、窓も開けられない。」と、いう話を聞きました。(盆地だから、この時期でも三十度を越える日があるのです。) りと様的には、「これから、ますます暑くなるのに、大丈夫なのかな・・。」って、身内も他人も心配になります。 悲しいことですが、 「三月十一日以前には、もう戻れない。」と、いう、残酷な事実が目の前に突きつけられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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