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カテゴリ:本
東日本大震災からしぶとく生き残ったことで、 「これからは、あまり物を溜め込まないようにしよう」と、決意したりと様・・。 今更ですが、りと様は片付けが苦手なのです(汗)。 震災前は、子供がいる・いない時期両方含めて、はっきり言って「汚部屋」で暮らしていますた・・。 「片付けられない人」というのは、「モノとの分離不安がある」と、前に何かで聞いたことがありますが、 我ながら、「当たってるかも・・」と、思います。 旦那は、りと様に増して、なんでもかんでも「とりあえず取っておけ」のヒトですね~。 とはいっても、 津波で家が流された方もいれば、原発のために自分の家が立ち入り禁止になった方もいるし、 そういう方々のことを思えば、 モノを溜め込んで執着することは無意味だし、ある意味愚かではないか?と、考え、 本当に必要な物だけを残して、徐々に処分・整理することにしたわけです。 ひとつ例をあげれば、震災前は、 「今、読みたい本が肝心な時にみつからなひ・・」って、事態がよくありました。 と、いうわけで、まずは本棚の整理からはじめていますが、 パラパラと中身を確認してみると、意外に良書が多くてなかなか処分できず、 何回かブッ〇オフに持っていったり&廃品回収には出したのですが、 あんまり減った気がしない・・・。 「この本は、将来、りと子に読ませようかな」と、思って、残しておいた本も結構あったのですが、 それらは「決意」をもって整理することにしました。 親子とはいえ、「共感」の部分まで似るとは限りませんしね。
上記の本は、大山巌の末裔の方が、 祖母(大山巌の娘)&親類(昭和天皇の御学友)などから聞いた昔話をまとめた本です。 特に印象深かったのが、1883年の鹿鳴館の夜会に出席した大山巌婦人の山川捨松(会津若松出身・日本初の女子留学生)の話です。 「お父様がわざわざフランスから取り寄せた、えび茶色のビロードのドレスを着た、それはそれは美しいママちゃん。ママちゃんの髪にはお星さまの形をしたかんざしが三つさしてあって、それに散りばめているダイヤがきらきらと光っていて、本当のお星さまみたいだった。(引用)」 鹿鳴館の話は、今から、約130年前の出来事ですね。 個人的には、 華族や皇族が出版した自分史&昔話は、読んでいてとても面白いと思います。りと様は庶民なので・・(^皿^)。
明治15年(1882年)、板垣退助が岐阜で暴漢に襲われたときのことが詳しく書いてありました。 日本史の教科書では「板垣死すとも自由は死せず」の部分のインパクト大ですが、 実際は、本の内容を引用しますと、 「退助はこのまま死んでも自由の精神は滅ぶることはないから、諸君もしっかり遣って呉れ給へ云々」と、いう風に、 永い言葉の中から一句を抜き出し、 他の言葉と切り離して、さらにこれを漢文風に「板垣死すとも(以下略)」と簡潔にして、 かつ、含蓄おおき言葉として、それがだんだん美化され、 今では、刺客に向かって一喝したことになっている・・・と、いうのが真実だそうです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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