人としてまともなら、ハロウィンで死に化粧に化けない!一生祟られる人生を歩むだろう
ハロウィン。昨日だった様ですね、テレビで取り上げるから賑やかなこと。本来の宗教行事の内容などそっちのけ。死に化粧!あのね、この世には怨み辛みで彷徨っている霊界がたくさんたくさん居るの。実際に死の世界の霊、さらに生き霊!つまりは身体はまだ生きていて怨み辛みの怨念が生き霊となってうごめいている状態を言い、それも彷徨っている。そういう見えてない霊界が飛びつくのが、呼び込む姿、している呼び込む人間の心の持ちようなの。死に化粧している人にはすかさず飛びつく。それを祟るという。霊界を軽んじる人。実際に自殺者にしてみれば人の痛みを感じない・死を軽んじる人には一層の怨みとなる。都内から湘南には電車に飛び込む自殺者が絶えない。自殺者の耐えられなかった心の痛みを軽んじる人たち。どんなどんな辛い心の痛みだったのだろうか……。それを知れない浅はかな若者たちがハロウィンの死に化粧をしている。彼ら彼女らは、今後の将来に於いて、神社仏閣にお詣りする資格無し!神社仏閣のマナーとして門をくぐって手を洗い浄めてから境内に入るでしょう。その意味を知らない・軽んじている。《日常生活での人の痛みを軽んじ、霊界を愚弄している時を過ごした自業自得の怨念怨霊を背負った人たちは、神さまからお釈迦様から、門前払いをくうのは明らか》人は目に見える肉体と見えない体と二つ存在している。見えない体・古来お釈迦様の教えで《器(大器晩成)》人間性の大きさを言い、とか《成熟・熟年・未熟》熟れ具合い、とか表している。今の若者たちは本当に『小器で浅はか』ハロウィンで死に化粧している人はお浄めも、御祈願も、神さまお釈迦様にお願い出来ないとなると、今後の人生が死に体にならざるを得ない。『《手塚治虫さんの不死鳥》を読みなさい!』と最後に伝えておこう