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『箱根用水物語─水仁祀り─』 ■前触れ■ ■第一章 不二の麓■ 歌舞伎十八番『助六』の口上。 「江戸八百八町に隠れのねえ、 杏葉牡丹の紋付も桜に匂う仲の町、 花川戸の助六とも、 また揚巻の助六ともいう 若いもの 間近くよって面像おがみ、 カッカッ奉れえ」 威勢のいい伊達男の標本とでも言うべき助六が住んでいたのがこの花川戸。 ここに、江戸きっての豪商として、大川(隅田川)べりに誇らしく大店(おおだな)を構えていたのが友野座です。 友野座を率いる友野与右衛門もまた、江戸っ子のにおいがぷんぷんする、たいそう気っ風のいい人柄であったことが、多くの古文書の記述からも読み取れます。 それに対して、総領息子の与一の方は、案外と無口な人間だったようです。 案外と──どころか、寛文六年(1666)に初めて古文書に名を見せた与一は、五年後に壮絶な死を遂げるまでの自らの十九年の生について、のちに、350年もの間沈黙してきました。 私が古文書の記述に、与一の名があるのに気付いたのが1986年のこと。 当時、私は卒業研究の達成に燃える、中学三年生の女の子でした。 そして、『箱根用水物語』を書き始める今日、2008年5月16日。 与一が私にその半生を語り始めるまで、古文書の上での対面の日から、さらに二十二年の時を要しました。 与一との出会いについては、追々お話していければと思います。 時代ものを書くことは、歴史に質問することだと私は考えます。 よい質問ができて、素晴らしい返事があった時の嬉しさは格別です。 歴史と一対一の対話がきちんとできた作者は幸福です。 さて、上の地図を見てください。 歴史は物語を作る素材の宝庫であり、今の社会も歴史の上に成り立っています。 現代と江戸。このふたつは、別のものではありません。 一例を挙げるならば── 長谷川町(現在の中央区日本橋掘留町二丁目)の三光稲荷は、行方不明になった猫探しに霊験あらたかな稲荷でした。 奇妙なのは、天保三年(1832)に処刑された鼠小僧次郎吉の家が、三光稲荷と同じ路地(三光新道)にあり、次郎吉の母親と妹が住んでいたこと。 猫探しで有名な三光稲荷の近所に鼠小僧の家が。鼠のお尋ね者と“お尋ね猫”。この面白すぎる取り合わせに、江戸の誰もが笑い合った──そう証言したのは、私の祖母のお祖母さんです。次郎吉より十歳若かった私の祖母の祖母は、近所に住んでいて次郎吉の姿も間近で目撃していました。 江戸と現代は、遠い隔てのあるものではありません。 読み手の潜在意識にアピールする物語を、恐れず、箱根用水に求めたいと思っています。 いざ語れ、石たちよ、我に──。 『箱根用水物語─水仁祀り─』 ■前触れ■ ■第一章 不二の麓■ ◆応援ありがとうございます! 次回更新は第二章●箱根権現●です。 6月1日(日)を目指したいと思います。 本格的な連載は、次回からとなります。 『箱根用水物語』は、全24章の予定となっております。 月に二度の更新で、今後一年間、どうぞ気長にお付き合いくださいませ。 なお、更新は次回から一章ずつとなります。 字数の関係上、今回より、本文はフリーページの方に載せてまいります。 慣れない掲載になるかと思いますが、どうぞ応援してください。 皆さまに、謹んで、よろしくお願い申し上げます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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