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山口小夜の不思議遊戯

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2008年05月27日
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                   箱根権現奉納、友野与右衛門立願状
                   ■『箱根用水物語』第二章 箱根権現


 【箱根用水物語、これまでのあらまし】

 これは、今からおよそ三百年前の物語である。

 深良の名主、大庭源之丞は、今日も我が家の庭先に立って、駿河津山(現在の湖尻峠)を見上げていた。箱根の山々は、なだらかな稜線を引いて、青空の中に聳えていた。

 ──あの山の向こうに湖がある。
 またしても、思いはそのことへ走る。満々と水を湛えた、底知れぬ芦ノ湖の青い水。
 ──あの水が引けたら…。
 それは古からの、このあたりの百姓たちすべての願いであった。
 あの水さえ引ければ、何百町歩もの荒地は、すぐにも立派な田になるものを──とは、村人が寄れば、いつもすぐに口に出る話だった。

 その頃、徳川の天下は治まり、兵力を用いるところはなかったので、幕府は全国的に新田の開発を奨励した。全国、どこにもあった荒地は、すべて公儀のものとなっていたのを、自費で開発した者には、その土地をただで呉れる、というのが最も魅力的条件であった。
 新田開発の許可は、勘定奉行がしていたから、有能な土木業者は続々と江戸に集まり、一代に産を成し、子孫長久の礎を築こうとしていた。
 
 源之丞は、どこそこも新田を拓いた、という話を聞いて、今こそは好機到来とばかり、近回りの名主たちに集まってもらって、年来の希望を打ち明けた。
 「まったく、おまえ様の言うとおりだ。芦ノ湖の水は、早川に落ちて、真っ直ぐに小田原の海につん抜けるだけで、ろくな役に立っちゃいない。世の中に、こんな勿体ない話はない」
 水を引きたいという願望には、誰も異存はなかった。
 「結構なことには違いないが、あそこから水を引くには、山を掘り抜かねばならん。費用も大変だが、第一、やれる人がいるだろうか」
 「江戸に行って、その道の人を探せば、見つからぬものでもあるまいと、わしは思うがなあ」
 「昔から、芦ノ湖の水は、権現様のお手洗の水といって、関所の役人でさえ入ることが出来ないというに、その水を分けてもらえるだろうか」
 「余って流れる水をもらうのだし、それに、権現様の寺社は、昔のご威光と違って、近頃は逼塞していなさる。頼みようによっては、何とかなるかもしれん」

 皆が熱を帯び、論じている中に、泉村の名主、次郎右衛門だけは、さっきから一言も発言しないのに、源之丞が気がついて、
 「次郎右衛門さん、お考えはどんなもんでしょうか」
 「わしにも、まことに結構なことだと思うが、ひとつ気になることがあります。つまり、話が出来て、江戸から誰かが来て、水を引いてくれたとしても、出来た新田はその人のもので、村の衆は小作にありつくだけで、あまり良い目は見られないのじゃないかなあ」
 「それは、初めの決めようひとつで、よい条件で確り証文を取り交わしておけば心配あるまい」
 評議は和やかに済んで、源之丞が江戸へ交渉に行くことになった。

 源之丞は、江戸にしばらく滞在して、方々の評判を聞き回っているうちに、浅草の友野与右衛門が、国も同じ駿河の人で、一番の適任者であることを知った。
 聞くところによると、与右衛門は駿府の生まれで、親は友野座といって駿府第一の豪商で、資金の心配もなさそうだし、その上、友野家には甲州流土木の法が家伝となって伝わり、与右衛門はそれまでに、方々の新田を開いて、その道においては当代切っての腕利きと聞いた。
 
 ある日、源之丞が彼を訪ね来意を述べ、問われるままに仔細のことを話すと、友野は、
 「承れば、なかなかの大仕事。可否はよく調べてみてからのこととして、一応場所を見せていただきましょう。再度おいで願うのも大儀ゆえ、私方の所用を繰り合わせ、明日御同道願います」
 との返事に源之丞は安心し、出て来た甲斐があったと喜んだ。
 源之丞は道中しながらも、なおあれこれと詳しい事情を語り、村へ着いてから、芦ノ湖と、その水を引く平野の見える駿河津山の頂に案内した。そこからは、前面には不二の大展望を背景に、これからの新田を開こうとする駿東の平野が、一望のもとに見下ろされた。

 「これは素晴らしい」
 いつも見慣れた不二ではあるが、ほかの景観と併せるとこうも雄大に見えるのかと感嘆する友野。
 後方には、緑の山脈に囲まれている芦ノ湖は眼下に見え、九頭竜(くづりゅう)の伝説を秘めて青黒く淀んだ湖水の表面はさざ波立っていた。
 それから、友野らは湖岸に下り、沢を歩いて一通りの地形を調べてから村へ帰り、事業の有望なことを告げ、計画が立ったらまたやって来ると言って、江戸へ帰った。

 その次に友野が来た時には、日本橋の松村淨真という同業者を連れて来て、精密に調査して行った。
 「これは今までにないどえらい工事だ」
 「男一代の腕試しだ。仕事に不足はない」
 ふたりは帰る道々、語り合った。
 それからも、彼らは何度も調査に来て、いよいよ江戸の勘定奉行に許可を願い出るに決まったのは、寛文三年であった。

 事業の大要は、駿河津山の下を十三丁(約2km)ほど掘り抜いて、芦ノ湖の水を深良側に落とし、29ヶ村、五千町歩の原野に灌ぎ、新田を開く計画であった。
 それに要する人足は、のべ百万人、工事費は米に換算してざっと十万石(現在の価値で10億円)、これだけの元をかけて、新田開発後は10ヶ年で元金を回収、後は年々2千石余りの小作米の上がる大地主になれる。これが大体の見積もりであった。

 新田を開こうとする者は、代官所を通じて幕府の勘定奉行の許可も得ねばならなかったが、ここではその前に水利権を持っている箱根権現の同意を得ねばならない。
 そこで、友野は箱根権現に参籠して、
 「何卒、この事業を成就し、大は万民の為となり、小は我が一族の幸と成らしめ給え」
 と、百ヶ日の願を掛け、いよいよ満願の日には、別当の快長僧正が壇に上って真言秘密の修法を為し、行の合間には、友野の総領息子である与一が、自ら神子となって特殊神剣を御神木に奉納する役割を担うことになる。

 ───

 今回の第二章は長文です。
 原稿用紙に換算して、87枚になります。
 どうぞ、辛抱をしてください。

 寛文三年丙午春の出来事──目撃するのは、350年後のあなたです。
 ■『箱根用水物語』第二章 箱根権現


 友野与右衛門が箱根権現に奉納した立願状は、現存しています。
 冒頭の画像は不鮮明で恐縮なのですが、
 「江戸浅草 友野与右衛門 与一 寛文三年 別当快長敬白」
 かろうじて、これらの墨書きの文字が読み取れると思います。
 (微妙にヘタな字であるのが、また人間らしくて非常によろしい)
 実物の鮮明な写真については、立願の成った章で、
 あらためてアップしたいと思います。


 ◆応援ありがとうございます!
 次回更新は6月15日(日)あたり、第三章●大友右京●です。
 最初、私はこの人が箱根山中に住み、与一に切支丹伴天連の法を夜な夜な教えていたのだと考えていました。が、どうやらそれは私の勘違いのようで──
 あらゆるものを含有する箱根連山。
 ご期待ください。可能な限り、史実の再生に務めます。








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最終更新日  2008年05月27日 18時54分12秒
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