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山口小夜の不思議遊戯

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2008年10月10日
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                天晴
                現在は満額達成しております

            『箱根用水物語』■第十一章 対決


 今年も金木犀香る季節が巡ってきました。
 今年の夏はとりわけ暑かったからでしょうか。秋の気配は、本当にいつの間に…といった感じがします。
 本日は少々あらたまって、『箱根』とは別の日記を書こうと思います。

 『箱根』を始めた今、10月10日は本来、スルーしようかと考えていました。
 与一は気難しい人なので、そこは私も気を使いますウィンク
 ところが、私の敬愛するチーフから直々にお便りをいただいたことと(後述)、奇しくも本日の本文の方でも、与一の「おもり」をしてくれそうな人が現れたということで(笑)、今回は与一とは別の人のことをお話しさせていただこうと思います。

 複数の人々が同じ気持ちのもとに集まれば、リーダーが自然に選び出されてくる。
 そしたら、そのリーダーの人間は、まずはきっと、こんなふうに指示を出すだろう。

 ポケットの中の小遣いを集めること。
 適材適所の役割分担。
 腹ごしらえ。

 小さなところでは部活から、大きなところでそれこそフランス王室打倒といった革命まで、複数の人間がひとつの目的を遂げるためには、まずは先にあげた三つが不可欠なことであるとわかります。

 ずーっと一緒にいれば、いつの間にか、それぞれの持ち場や役割について了解し合えます。配慮のしかたや気遣いのかたちなども、気心の知れた者同士の安心感で、自然に成立するものです。

 互いにわかり合うことが楽しくなっていくならば、その集団は本物です。
 そして、その集団がそれを形成するひとりひとりにとって、文句なく安心できる場であり得るために何よりも大切なことは、お互いが顔を合わせた瞬間に、双方ともにプラスイメージの発信人になっていることです。
 荒っぽい言葉でもいい、明確な挨拶、笑顔、真っ直ぐな視線。
 こういうものが、プラスイメージを作ります。

 集団のそれぞれ、また集団の全体になんらかの変化があって、これまでの習慣どおりにいかなくなるときは、その都合や事情を明らかにし、プラスイメージでこれからどうすべきかを話し合う。一緒に過ごしていくために、お互いに納得し合うために、話し合うのです。
 生きることへのプラスイメージを壊さないようにしようと努力する友人たちの姿を見て、ひとりひとりがなんとなく納得し、子供なりに人生の学習をし、かつ安心する。
 このような集団に属す自分を誇らしく思えるようになれば、その子はそれほど心配いりません。かれはひとりでに一人の社会人になるべく、前向きに育ちます。

 お互いをプラスイメージの発信人と直感で感じられる、その安心感が育つと、いつしか心の底がぬくもってきて、「意欲」という自然な勢いがわいてくる。
 こだわるものがない。日々発散しきっている。いつも自然な自分で満足している。自分を今のように生かしてくれている周りの人にも、限りない親しみを感じる。

 自分を生かそうと思う一方で、他の人たちもみな生き生きとしていてもらいたい、そんな願いがわいてくる──それは「足るを知る」という生き方かもしれません。

 そう、ひとりの友人のことをお話しさせてください。
 ヒカリは専門職で手腕をふるうかたわら、今や小児病棟の臨床にも関わっています。
 活動の詳細については、難しい言葉で言うと、

 「医療当事者による子供を亡くした家族へのケア」
 「死が免れない病児本人に対する具体的なインフォームドコンセント」
 「入院中、一緒に頑張ってきた友人を亡くした重篤児に対するケア」
 「兄弟を亡くした健常児に対するケア」

 楓はもとから強い子でしたが、病状が深刻になるにつれ、ますます弱音を吐かなくなりました。今思うと、「弱音を吐けない状況」というものを、私たちが作ってしまっていたのかもしれません。
 おそらくはヒカリだけが、本当の楓と寄り添うことができた。
 「死ぬのは怖いよ」とつぶやく楓に、「死ぬのは怖いよな」と返事をすることができたのは、ヒカリだけだったのかもしれません。
 次第に自分の死期を受け入れようと心を動かし始めた楓に、「死ぬなんてことは絶対にない」と否定することなく、「この世でも、向こうの世界でも、おまえには同じように楽しく優しい友だちがいるだろう」と言った──それこそが死を完全に否定する、ヒカリにしか言えない命の言葉だったと、私は今でも思うのです。

 今、ヒカリの働く病院では、勇敢に戦い、走るべき道を走り抜き、旅立っていった子供たちと、元気になって退院していった子供たちの名前が、等しくプレートに刻まれます。
 そのプレートは、Maple Tree をかたどったレリーフに飾られます。
 なぜ、Maple Tree なのか──それは、ヒカリだけが知っているヒミツです。

  ───

 さて、先日、敬愛するチーフから、一通のメールをいただきました。
 チーフの職場の人の息子さんが重い心臓病を発症し、移植手術を受けるための募金活動が、この9月より開始されていました(10月8日に募金目標額達成により活動は終了しております)。
 職場の人の息子さんということもあり、チーフもなんとかお手伝いできれば、との切なるメッセージをお受け取りしていました。

 これまでも、移植手術のための募金活動のことを新聞記事などで目にするたびに、私は無関心ではいられませんでした。
 ただし、個人のブログなどで発信することではないと、考えてきました。
 もし、楓に出会ってくださった方が、このような記事を知ったとき、誰に言われるまでもなく、自分の考えを持ち、自分の考えたことにそった生き方、行動をしてくだされば、本当にしあわせなことだと思っていました。
 それにともなうようにして、臓器移植や募金活動の是非について、お尋ねがあることもあります。私自身の考えをまとめたいと思っていながら、この日まで先送りにしてきました。 
 私にきっかけをくださった募金活動は、二日前に目標額を達成したとのご報告を受けました。今回はこの活動に導かれ、勇気を出して「臓器移植」「募金活動」という重いテーマについて、考えてみたいと思います。

 渡米しての移植の話が持ち上がったとき、楓は「イヤだ」と拒否しました。
 「他人の死を望むことになるから」というのが理由でしたが、本当はヒカリという存在に対する遠慮と、「移植しても、拒絶反応が出たら、もうこの身体ではもたない」ことが、楓にもわかっていたからなのかもしれません。最後まで、みんなと一緒にいたかったのかもしれません。

 ここに13歳のひとりの男の子がいます。
 彼は学校に行って、お友達と遊びたいと思っている。
 みんなが生き生きと生きたいと思っているその願いは、「他人の死を望む」ことと矛盾することではありません。むしろそれは、命をリレーすることではないでしょうか。移植を拒否した楓ですら、ドナー登録はしていました。残念ながら、多臓器不全が著しく、ドナーとしては役割を果たせなかったのですが、角膜は移植できたと聞いています。今もどこかに、楓の「瞳」でこの世界を見ていてくれる人がいるのです。

 奇しくも、チーフからご紹介いただいた『一瞬の風になれ』を読み、私は昨年、積年の自分の思いをまとめることができました。あの時の私の思いは、移植についての私見にもつながると思います。もしよろしければ、『一瞬の風になれ』ブックレビューに遊びに来ていただければ嬉しいです^^

 わたくし事で恐縮ですが、先週6歳になった私の娘がまだお腹の中にいた折、ちょうど臨月の検診の時、胎児の心音が「おかしい」とのことで、その場で心臓外科の先生に診ていただくことになりました。CTなどの数々の検査の後、心室中隔欠損症と診断されました。
 経過観察をしつつ、生まれてから手術をすることが予定されていましたが、不思議なことに、誕生後にすぐ別の医療チームにつれていかれた娘が、三時間後、「心臓の穴がふさがっていました」と言われて、何事もなく帰ってきたのです。

 胎児の心音は、出産の直前まで私たち両親も聞いていました。ギャロップするような一定の鼓動に混じって、トトトトと明らかに不整な音が聞こえます。家庭用に聴診器まで買って、二ヶ月間も心配しながら聞いていたので、「なんでもなかった」わけがないことは承知しています。
 ところが、どの検査結果を見ても、本当に問題がなくなっていることがわかり、あの時は安堵のために家族中が腰を抜かしそうになりました。
 心室中隔欠損症は自然閉鎖が起きることもある、とのことでしたが、誕生と同時にというのはとてもめずらしい例だそう。
 先生や看護師さんたちも、母子同室の部屋に様子を見にきてくれては、よかったね、よかったね、と一緒に喜んでくれました。

 私たちの娘の例を出すまでもなく、私たちは支え合って生きていくことが、実に「自然」なことなのかもしれません。母親になった人ならば、臍帯血のドナーになることを拒否する人はいないでしょう。「ともに生きること」とは、いわば当然の概念として、ひとりの人とともに育っていくものではないでしょうか。

 こちらのブログに遊びに来てくださる方には言うまでもないことではありますが、もし、中高生の皆さんの中で迷っている方がいらっしゃるならば、どうぞ耳を貸してください。
 具体的には、駅前で募金活動などを見たら、とにかく百円玉でも五百円玉でも入れに行く、と自分自身に決めてしまうのもひとつの「テ」かもしれません。
 「あしなが募金」「赤い羽根」「緑の羽根」「歳末たすけあい」「盲導犬」「アイバンク」、コンビニに設置してある募金箱などの信用すべき募金活動を見たら、もう自分の行動を迷わない。

 祈り、共感、応援──見ず知らずの人からの励ましというものは、身内の人々からの言葉よりも、ときに多くの勇気をもらえることがあるのです。

 そして、願わくは、特定の個人名義への募金というかたちではなく、医療費を必要とする不特定多数の方々への募金を常時受け付ける医療援助制度などの確立を望みます。


 小難しいことを書きました。最後はこちらで楽しく思い出し笑いしてください☆

 ■ある日の青木学院ネタ■
 みんなぁ!今日も楽しく過ごそうな大笑い


 ◆こちらもよろしくね♪──■第十一章 対決
 
 ◆応援ありがとうございます!
  次回更新は、11月1日(金)●邂逅●です。
  もう仲直りするんかい!







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最終更新日  2008年11月04日 02時07分48秒
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