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写真は箱根用水内部から芦ノ湖側を振り返ったところ。 女性の皆さま、どうぞよくご覧になってください。 この光景を目にしたのは、小夜子のほか、あなただけです。 『箱根用水物語』■第十四章 掘り抜き■ 本日もお堅い内容で申し訳ない! 頂いていて載せるのが楽しみなバトンがふたつあるのですが、それは年を越してからということにあいなりそう…; 今日は愛、燦々とさんと話していて、「それって意外に知られてないんじゃない?」と言われたトピックスについて、皆さまと楽しく特集したいと思います☆ 題して、 【酒井雅歌守やら保科出羽守の“○○守”の部分は武士の自称ですv】 「○○守」(~のかみ)とは、もともと律令制から始まった朝廷での役職を表わす官位名のひとつで、○○という土地を任された地方行政官を指す名称でした。 鎌倉時代以降、朝廷の律令制が崩れはじめます。さらに江戸時代に入ると、既に朝廷に実際の統治能力はまったく無かったので、「官位=○○守」は「自称してもよい」という習慣にまでおちてしまいます。官位は朝廷から授かるものでしたが、時代が下がるに従い、朝廷が関知しない「通称」になっていくのです。 ちょうど本編の更新に「与一の元服」について触れていますが、与一は父親の「友野与右衛門重之」から一字をもらうことになります。 つまり、友野与右衛門は本来“友野重之さん”であるわけです。 「与右衛門」という「ミドルネーム」は、果たして自称の「官位」であったのです。 いわば「箔付け」みたいなもの。 ちなみに、日本の「官位」は「位階」(冠位十二階に準ずる)というものによってつける官職が決まっていました。 位階が人間の階級、官位が職場での階級だとすると、必然的に「○○守」が自称できるのは、大名級の武士から。町人である友野は、自ら「ご遠慮」をして、百官名のひとつ「衛府」の一役職「右衛門」を借り、さらに友野家の総領が代々継いでいく「通字(あるいは系字)」の「與」を加えて「與(与)右衛門」の「官位」を作り上げ、これを自称したのです。 かようなわけで、江戸時代の名づけは、友野与右衛門重之の名ひとつをとってみても、 ・友野=「氏」 ・与右衛門=「官位」 ・重之=「諱(いみな:本名)」 というふうに、実にややこしく分類することができるのです。 深良村の名主である大庭源之丞も同じです。 大庭源之丞は「大庭源之丞繁成」が正式の自称です。 「○之丞」という官位も、大名の下の百官名からとっています。 ゆえに、おそらく大庭家の通字である「源」を入れた「源之丞」という「官位」も、地方名主の分をわきまえた自称であると察せられます。 では、なぜ「氏・官位」で自称することが習慣となっていったのでしょうか。 なぜ「友野重之」という「氏・諱」で呼んではいけないのでしょう。 これは「諱」(いみな)という日本独特の風習がもとになっていると考えられます。 先に述べたように、「諱」は言い換えれば「本名」です。古来、本名は極めて霊的な力を持ち、他人がこれを呼ぶことで、その人格さえも支配できると考えられていました。それゆえ、本名を呼ぶことができるのは目上の者か親に限られ、それ以下の者に名を呼ばれることは、「呪いをかけられる」ことと同義なほどに忌避すべきことでした。これを実名敬避俗(じつめいけいひぞく)といいます。 このことから鑑みるに、階級の高い人であればあるほど、本名を呼ばれることを嫌って「官位」を自称したのが、「氏・官位」呼称の定着につながったのだと考えられます。 さて、「太郎」「次郎」も「百官名」のひとつであることをご存知でしょうか。 ほかにも、「官名」が「人名」に転じた例はいくらも見つかります。 「勘太郎」の「太郎」、「七之助」の「助」も元を正せば「官位」です。 更に言うならば、「太郎」の方が上級職で、「助」がこれに順じます。 私の鞍馬天狗の祖父は「○○すけ」を名乗っていましたが、彼は十三人兄弟の末弟であったので、「すけ」の名はまことに兄弟の命名の流儀に適っていたと語っていました。 つまり、長子に「助」「介」「輔」の字は避けるべきで、上記三字をつけたいならば、長男以外の者につけることが望ましいと言うのです。 長男の命名に百官名を引いてくるならば、あくまで「太郎」的意味を持つ字を選択するべきで、これに「すけ」の音を当てることは、兄弟の系列の流れに反することなのだそうなのです。 長男の名に「すけ」の字を付けると、命名の霊的意味からすれば「プラスマイナスゼロ」になってしまう。逆に言えば、イチローはお兄さんがいるにも関わらず、長男の名を付けられたことによって長子をも食ってしまう才華を得たとも考えられます(命名という言霊の流儀から言えば)。 ただし、私の祖父の場合、兄たちは次々にスペイン風邪(当時の新型インフルエンザ)に倒れ、祖父以外は全員亡くなってしまいました。当時七歳だった祖父だけが生き残り、その後も二回の大戦をかいくぐって長寿を得たことは、私は今でもとても不思議に思います(ナウシカみたい)。 最後に、前述の「官名」が「人名」に転じた例を挙げてみましょう。 ああ、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。 【太政官】 ・匠:たくみ ・大学:だいがく ・主計:かずえ ・主税:ちから ・玄蕃:げんば ・隼人:はやと ・主水:もんど 【衛府】 ・左近:さこん ・右近:うこん ・弾正:だんじょう 【春宮坊】 ・帯刀:たてわき 【京職】 ・左京:さきょう ・右京:うきょう それでは今回もお楽しみください──■第十四章 掘り抜き■ お久しぶりの蒲生源馬のご紹介──初出は第三章 大友右京。 再登場は第七章 矢倉沢となっております。 ◆応援ありがとうございます! 次回更新は12月15日(月)●死を超えた人々●です。生きててよかったv 年内最後の更新となります。行く年に感謝しつつ── お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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