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──いや重け吉事── 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます 箱根駅伝とともにご一読くださいませ──■第十六章 権現のいらえ■ わが友、透子さんが詣でてくださった箱根権現の現在はこちら。 透子さんの画像の湖側からの様相はこちら。 四半世紀の時を超え、映像の妙です~☆ ありがとうございます透子さん。 第五章の日記にもリンクさせてください! 年頭にあたり──抱負など さて、日本人は「走る民」なのだと気づいたのは最近のこと。 Qちゃんしかり、元旦に日本中が熱狂する箱根駅伝しかり。 騎馬民族でもなく、農耕民族でもない、「疾走民族」である日本人について、 私はこの一年をかけて考察してみたいと思います。 皆さま。どうか箱根駅伝をご覧になってください。 アナウンサーが毎年一度は「芦ノ湖」「箱根用水」について触れてくれます。 その時、この小さなブログの物語を思い出していただければしあわせです。 217.9キロの箱根駅伝のルートこそ、与一が友野与右衛門がその昔、 芦ノ湖と江戸を往復した路程に他なりません。 そして、選手たちの飛ぶような足取りこそ、風の民、山渡る者たちのスピード そのものであることを、ぜひ目撃してください。 箱根権現は特定の者に微笑むことはありません。 むしろ、これはと目をつけた者にむごい仕打ちをする。 前の年に優勝した順大が途中棄権する──去年の“惨劇”も箱根路では、 まま起こり得ることです。 今年箱根権現はどの選手に目をつけ、運命の撹乱を仕掛けてくるのでしょう。 女神の食い入るような目を振り切って大手町の結界まで逃げ切れたチームが 今年の優勝者となるのです。 さて、一年の計たる日記、今日も今日とて小難しくてごめんなさい; 【元旦に寄せて─辺界の輝き─】 汝も神ぞや 遊べ遊べ 君も神ぞや 遊べ遊べ ─神楽歌の一節─ かつて日本には、士・農・工・商の身分制度から外れて生きる「辺界の人々」がいました。彼らは人里を離れ、深山を回遊しつつ豊穣たる文化を育んできたのです。 この人々は独自の知識を持ち、たまさかに里に下りては地付き衆にそれを伝えていました。誰にどのようにして伝えるかは、すべて「常民ではない人々」が決定したことでした。 いわば、回遊民に接触する積極的権利は、常民の方に持たされていなかったのです。 さて、これまで日本の文化史については、たくさんの業績が発表されてきましたが、まだまだ空隙があることは確かです。 特に大和王朝の正史で「遊部(あそびべ)」と呼ばれた職能集団──その起源や中世以降の歴史、今日に至るその文化の流れも、充分に明らかになっていません。 しかしながら、遊ぶ民、あるいは回遊する民の問題は、日本人起源論というか、日本民族形成史論と深く関わっているともいえるのです。 あらためて言うまでもありませんが、日本人は中国大陸や朝鮮半島はもちろんのこと、北方や南方から運ばれてきた様々な文化の流れに乗って形成されました。 文化の流れとは、人の流れのこと。アジアの各地からやってきた人々が、列島のいわゆる「常民」が主軸となった文化を生成していきました。 一方で、そこから意図的に隠された者の系譜もあるはず。 古代の文献資料である『古事記』『日本書紀』『風土記』に出てくる国栖(くず)、土蜘蛛、隼人などがそれです。 土蜘蛛は八束脛(やつかはぎ)とも呼ばれました。足が長いという意味です。『日本書紀』でも土蜘蛛は「身短くして足長し」とされています。ここから、彼らは明らかに縄文系の先住民とは系統を異にしている血脈であることがわかります。 土蜘蛛と呼ばれた人々は、また別の名に「稀人(まれびと)」とも称されました。稀人とは、大和詞で来訪神のことを指します。 古代の遊行神人こそが、回遊する民の系譜であったと考えていたのが、折口信夫です。 「山に生き山に死ぬる人びとあり。これ山民なり。里に生き里に死ぬる人びとあり。これ常民なり。山と里のあわいに流れ、旅に生まれ旅に死ぬるものあり。これ一所不住、一畝不耕の遊民なり。 山人は骨なり。常民は肉なり。山と里の間を流れる遊民は血なり。血液なき社会は、生ける社会にあらず。遊民は社会の血流なり。生存の証なり。遊民をみずからの内に認めざる社会は、停滞し枯死す。かれらは永遠の遊民として社会を流浪し、世に活力と生命とをあたえる者なり。遊行神人の意義、またここに存す。山は彼岸なり。里は此岸なり。このふたつの世の皮膜を流れ生きるもの、これ遊民の道なり。かれらは統治せず。統治されず。一片の赤心、これを同朋と常民の志立てるものに捧ぐ。されど人の世、歴史の流れのなかに、遊行の遍路、為政者の思惑にいれられざることあり」 さて、折口が唱えた遊行神人論は、回遊民について考察する上でも大変興味深い。 たとえば、万歳・春駒・大黒舞というのは元旦の寿ぎの門付け芸ですが、これは士農工商に入らない人々が担っていました。言い換えれば、士農工商の身分にある者は、万歳ができないわけです。回遊民だけが「新春の門開き万歳」が許されている。普段は山中深く隠れ棲んでいる遊行の人々が、元旦にのみ、神仏の代理人として門口に登場するわけです。 現在、新春のハレの日に万歳の祝詞を唱えることをしているのは、天皇だけです。 不思議ですよね。天皇と山中深くに隠れ棲んだ稀人だけが、元旦に言霊をさきわう──このふたつの系譜が、互いに関連があることを暗示しているかのようです。 今でも、皇室最高の儀式である御大典(ごたいてん:即位の礼)の度、京都以西の山で白い煙が立ち上るというのは有名なエピソードです。柳田國男は大正天皇の即位の礼の際、それを実際に目にして、「あれはいにしえに朝廷から隠された土蜘蛛たちが、この度の御大典を寿ぐ徴ではないか」述懐しています。回遊民の世界にずっと近づいていくと、天皇制というものとどこかで繋がるのではないかと、柳田は考えていたようです。 その鍵となるのが、アマテラスは実は男神であった、という仮説です。巫女オホヒルメが神を代行するうちに神自体と誤解された。では、そこで原アマテラス的なものはどうなったか。 それを体言したのがスサノオです。この神の運命が示すように、カミアソビはこれ以降、貴種流離の形を取ることになりました。それが人界による遊びの原型となります。 さすらう貴種の系譜は、ヤマトタケルや隠岐に流された後鳥羽院、後醍醐天皇、ずっと下って一休宗純へ、あるいは虚構世界である『伊勢物語』の「をとこ」や光源氏へと続きます。 流謫(るたく)、さすらいと一体化した遊びは、旅に死んだ西行、宗祇、芭蕉、そして、放浪する芸能者、山渡る回遊民たちのものでもありました。 話は戻りますが、万歳の祝詞というものはなかなか難しいもので、小一時間ほどかかります。回遊民は文字を持たないため、全部口伝で覚えているのです。 「明けましておめでとう」とか「今年もよろしく」と短く言うのではなくて、川の流れるように小一時間も寿詞(よごと)を唱える。それだけでも、回遊民の姿はある種の畏敬の念を抱かせたでしょう。おそらくは常民にはない超人的な霊力の持ち主とみなされたことでしょう。いわゆる神事呪能の担い手というわけです。 回遊民は得体が知れないが、彼らがやってくると在地の集落に新しい刺激をもたらす。いわば混沌の世界からの使者なのです。彼らの訪れは、既存の日常性を破る「異化効果」があったと考えられます。 柳田國男は『遠野物語』の前書きで、こう述べています。 「国内の山村にして遠野より更に物深き所には 又無数の山神山人の伝説あるべし。 願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ」 願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ── 私は柳田の言う、その戦慄を感じます。 箱根用水を囲む、鬱蒼とした深山の裡に。 ■第十六章 権現のいらえ■ 箱根権現豆知識: お正月に飾る鏡餅は、とぐろを巻く白蛇をかたどったものです。 ◆応援ありがとうございます! 次回更新は1月15日(木)●蜘蛛の巣間切り●です。 「くものすけんきり」と読みます。 現代でも解明されていない、箱根用水を代表する工法の秘密に迫ります。 日記では「育ちのいい男を見極める実践的チェック項目」をお楽しみに☆ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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