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■第二十七章 谷間の茶屋■ みなさま。 本日はみなさまのご意見をぜひうかがいたくお願い申し上げます。 もし、オットが岩波の近代文学全集を240冊、さらにルーブル美術館の全所蔵品を掲載した大型本八冊(テレビの両脇に見えている)、ルオーの全版画集を求め、それがいつのまにかリビングの書棚に陳列されていたら、みなさまはどのような対応をなさるでしょうか。 近代文学全集というも、漱石、鴎外、芥川、茂吉、志賀、露伴、鏡花、梶井、鈴木三重吉、寺田寅彦、須賀敦子という、か~な~り偏ったラインナップとなっております。ちなみに、わがオットの専門は日本の近代文学でも西洋美術史でもありません。 うちの今年の夏休みの資金は、いったいどうなってしまうのでしょうか。 もし、みなさまのなかで、私に免じて許してあげてほしいと名乗りを上げてくださる方がいらっしゃれば、私は謹んでその通りに致します。 そんなオットは許せねえ!今すぐ大喧嘩に発展してよし!というご意見もお寄せいただいてもだいじょうぶです。 さて、本日はひとりごとのような内容で恐縮なのですが、 【Hikari says】─「手をかけること」について─ 医療現場の最前線に身を置くヒカリの話を聞いていると、私にとって得るべき示唆を非常に含んでいることに気づかされます。 何気なく話している言葉の端々に、ちらりと顔を出す真実。 「人が亡くなっていくとき、あれをしておけばよかった、と一番後悔することはなんだと思う?」 たとえば、何々をして満足して、あるいは安心して亡くなっていった──という話はよく聞きますが、「最後まで後悔していた」というのであれば、会いたい人に会っておけばよかった、とか、家に帰りたかった、とか、もっと健康に気をつけておけばよかった、とか、私にはそういうことしか思い当たりません。 ところがヒカリが言うに、「死期をさとった人が、人生を振り返って後悔するか、しないか」の分かれ目は、ズバリ「大恋愛をしたか」という一点に尽きるそうなのです。実は私、これをヒカリの口から聞いたときは、不謹慎にも吹き出してしまいました; その「大恋愛」が成就したか、しなかったかは関係ない。 誰かを愛し、自分も愛された──その経験が「恋愛」として記憶に残っているかいないか、それが「人生を後悔する」分かれ道なのだそうです。 後悔を語る人は、「自分には大恋愛の経験がない」「恋愛をしておけばよかった」「本当は恋がしたかった」などと切ない言葉を残して逝くそうです。 自分の人生の最後に満足を得るには、成功や名誉の形跡ではなく、大恋愛の記憶さえあればよい、というわけです。 じゃあ、ヒカリに大恋愛の経験があるのかといえば──宇宙植物のようなヒトなので、彼の内面の動きはいちいち読み取りにくいところではあるのですが、愛、燦々とさんが彼を評して「いたってふつうの男の子だよ」と言うので、ヒカリもあれでいて激しい幸福感に襲われるような経験を持っているのかもしれません。 さらにヒカリは、人が最後に「自分が残せたなぁ」と満足に思うものは、財産でも経歴でもなく、「見ず知らずの誰かのためにしたこと」だけだと言います。 遺産はいつかなくなる。経歴は忘れられる。 でも、「見知らぬ誰かのためにしたこと」は、いつまでも地上に残るのだそうです。 たとえば、子供たちが遊ぶ公園。これは誰かが残してくれた土地の上にあるものなのかもしれません。 「見知らぬ誰かのために何かをする」ためには、自分が強くなくてはならない。 自分が苦しいとき、寂しいときは、きっと誰かが声をかけてくれる。手を差し伸べてくれる。 でも本当は、助けようとしてくれるその誰かが、自分になりかわって現状の人生をなんとかしてくれるわけじゃない。最終的には、自分の力で、自分の気持ちで立ち上がっていかなければならない。現況を打開していかなくちゃいけない。 仲間がいること、と、人は結局はひとりなのだ、というふたつの現実は矛盾しない。 自分を救うのは、自分でなくてはならない、と言うのです。 となると、人生の最後に、本当のしあわせ、安心、満足感を得ることは、家庭を持つ人、ひとりで生きる人、マイケル・ジャクソン、ミャンマーの極貧農、あるいは友野与一…どのような立場の人にも、等しくあり得る、ということになります。私はここに、ひとつの救いを見たような気がするのです。 ヒカリが小難しい表現を使って言ったわけではないのですが、少なくとも、私には上記にまとめたような内容を聞き取りました。 さて、ヒカリは「見知らぬ誰かのために」医療という手段を使うことができますが、私はどうすればいいのでしょう。それで──といってはナンですが、今般、「見知らぬ誰かのためになにかをする」ことについて、自分なりに行動してみることにしました。 ヒカリは医療行為の合間に、手術を控える子供たちに本を読み聞かせたり、術後の処置をしている最中にも、ママに手をにぎっていてもらう、看護師さんに好きな本を読んでもらうことなどをしています。彼の一連の医療スタイルは、子供の不安や苦痛の軽減を第一に考えているように見えます。 病気と戦う子供、障害を背負う子供を「大事にされるために生まれてきた人たち」を呼ぶヒカリ。 そんなヒカリには及ばずながら、私も自分のできることをさせていただこうと、このたび、活動を開始することにいたしました。 考えたのは、シーツの交換と、おやつ作り。 手術や治療、検査に行っている間にシーツを交換します。 おやつの時間に、手作りのものを出してもらいます。 私の姿は子供たちには見えません。 ボランティア──という言葉はおこがましくて使えない。 私は私のなかに欠けているものを埋めるために、手を動かしていたい。 地上に残されるのは「見知らぬ誰かのためにしたこと」だけ──ヒカリの言葉の真実を確かめたい。 こちらもある意味で双子ネタv 鳥吉の意外な正体とは──■第二十七章 谷間の茶屋■ 文中の「飛鳥井」という言葉に、蛇足ながら著者註を入れさせてください。 ずいぶん前の記述なので、本文の記述のこちらとこちらを、ヒント程度にご参考にしてくださると嬉しいです。 ◆応援ありがとうございます! 次回更新は7月15日(水)●嵐●です。 透子さん☆ あの「嵐」じゃなくてごめんなさい 追記:そうそう、ママさんたち同士よ!!! 「手をかけるということ」についてもうひとつ。 子供を叩いてしまうと止まらなくなる自分が怖いと悩む男の子のお母さんがいて、そのママのことを話したんです。 するとヒカリいわく、どうしても自分の感情をおさえきれなくなって、子供を叩いてしまったときのお約束──「叩いた手のひらを子供の身体からすぐに離さないで、そのままずっと子供の身体に当て続ける」といいのだそうです。 子供もママの手のぬくもりを感じていられるし、もし、ママが叩くのをやめたい、と思ってもやめられないでいるのならば、やめられない行動のパターンを少し崩してみることによって、行動そのものが変わりやすくなるのだそうです。そして、いつのまにかやめられている。 これを聞いて、こんなふうに思った。 ヒカリは親元から離れたところで育ち、幼い頃は今でいうネグレクトにあっていた子なのですが、そんなヒカリに出会い頭、思わず手を上げ、その手を離さずにさらに掴みかかっていったヒロがいたから──今のヒカリがあるのだと、私は信じています。 ヒカリは言います。 自分を手放さなければならなかった両親も、他人の子供を育てなければならなかった養育者も、「どちらも自分が望んだわけでもないのに、重い人生を背負わなければならなかった人たちだから…今はただ、お疲れ様でしたと言いたい」 【こちらは家族のために手をかけてみましたv】
7月14日、どんな色が好き?
7月13日、リサとガスパールのボール遊びv
7月10日、元気なマドレーヌちゃんピラフv
7月9日、今日はマヨたまサンドだよv
7月8日、ジジDEランチv ◆よろしければこちらもチェックしてみてくださいv ブックカバー兼、図書館バッグ☆
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これは自分で買ってきた裏地v お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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