後ろの正面だあれ
■第二十八章 嵐■
お盆間近ということで、本日の日記はまず、最近身の回りに起きた出来事をご報告させていただこうと思います。
二世帯住宅をもとめて引っ越してきたのは、二年前の夏の日のこと。
斜めお向かいのおうちにご挨拶に行ったところ、私たちと同世代のママが出てこられて、すごく気さくに応対してくださって、とても嬉しかったことを思い出します。
このお宅には、小学校三年生になる名門校に通うお兄ちゃんと、私の娘と同い年(当時年中さん)の妹さんがいるとのこと。
目の前にある「公園で一緒に遊びましょうね☆」と言ってくださり、それからも今も、子供たち同士で誘い合って、いつも仲良く遊んでもらっています。ひとり娘の親としても、本当にありがたいことだと感謝しています。
最初にご挨拶した折、不在のご主人について「今、入院中なんだけど、大事ということではなくて、全然大丈夫だから心配しないでね」と話してくださいました。
それから半年くらい経って、「今、主人が一時退院をしてきたの」とご連絡があり、そこで初めてご主人様にも家族でご挨拶させていただきました。
それからまた半年。
お向かいの家の娘さんが、パパと公園で遊んでいたのを見つけて、うちの子も飛び出して行きました。木登りを教えてもらっていたようで、帰ってきてからもすごく楽しそうに話していました。お向かいのママいわく、やはり一時退院だったということで、ほどなくしてご主人様は病院に戻っていかれました。
それから間もなく。
私たちはご主人様の訃報を聞きました。
思い返すと、「木登りを教えてもらった日」が、お向かいのご主人様が娘さんと最後に公園で遊んだ日でした。わが子が一緒になってしまって、親子水入らずの時を邪魔してしまったことを、非常に申し訳なく思っています。
立派な方だったので、ご葬儀もとても大きなものでした。
落ち着いてからも、お向かいのママはお茶やおしゃべりのために家に呼んでくださり、変わらないお付き合いをしてくださっていて、本当にありがたいことだと感じています。子供たちもいつも仲良く遊んでいます。
そんな平穏な日々が続いていた先週の木曜日のこと。
娘をピアノのお稽古に送り出した帰り、私がひとりで家の前の道を歩いていると、今は小学校五年生になったお向かいの家のお兄ちゃんが、めずらしく公園で遊んでいるのを見かけました。
ひとりで高い木に登っているようなので、下から「お兄ちゃーん」と声をかけてみました。小学校高学年の男の子なので、以前のようにまとわりついてきたりはせず、木の上から笑って手を振ってくるだけ。もう10歳なんだからそれでよし。私も笑って手を振り返して、その場を離れようとして──ふと視線に気がつき、足を止めました。
お兄ちゃんのいる木の下に、男の人が立っていたのです。
普段着で帽子をかぶった、40代後半の男性です。
男の人は私と目が合うと、にっこり笑って会釈してくれました。
んん?誰だったっけ…と思いつつ、会釈をされたのでこちらも頭を下げようとして、唐突に思い当たった。
お父さんです。お兄ちゃんのお父さんだ!
その瞬間、私は「ああ!」と叫び、ついで「こんにちは!」と思わず声に出して挨拶してしまいました。
そして、今度は親子水入らずの場面を邪魔してはならない、とその場を足早に通り過ぎました。木の上のお兄ちゃんからすれば、よほどヘンなヒトに見えたことでしょう。
夕食の段になって、私は先ほどの出来事を家族に話しました。
すると、「お向かいのパパを見てくる!」とやおら席を立って出て行った娘。
ほどなくして、「公園にはもういなかった」としょんぼりして帰ってきました。
オットいわく「そりゃあ心配だよ。子供はまだ、ふたりとも小学生なんだから」
お向かいのご主人様が亡くなったのは、去年の10月下旬。今年の夏は、初盆を迎えます。
オットは「あまりそーゆー力は鍛えないほうがいい」と言うのですが、こちらが「鍛え」なくとも、向こうの方から姿を現してくださる分には、きちんとご挨拶をしなければならないとも思います。
その夜の夢で、今度は私の亡き父がやたらと自己主張をしてきたのが面白かった。「おれだって心配している!」とあの人らしい対抗意識を見せてくれたような気がしました(笑)。
小学生で残された子供はもちろんのこと、30代になっても、自分の子は自分の子供。たとえ彼岸と此岸に隔てられていても、親は心配が尽きないものなのですね。
天国のパパは、君たちのことを愛している。
君たちにどんなことがあったって、パパの愛だけは君たちの中に残っている。
それは生きている親よりも、もっと深く、もっと顕著にあらわすことができる愛なのかもしれない。
【Kのご家族との語らい】
さて、こちらも親御さんの愛について──
去る6月の日曜日、一昨年4月に亡くなった友、Kのご両親のご希望で、玉香さんとともに会食のひとときにあずかりました。
Kというのは、ひょんなきっかけで『青木』を書いたノートを見せてからというもの、この物語を大好きになってくれた友人で、『ワンダフル・ワールド』の出版協力者の頁にも名を連ねてくれています。こちらのブログに何度かコメントをくれたこともあります。
Kは1972年3月25日生まれ、0型。
私は1972年3月26日生まれ、0型。
でも、Kは一昨年の4月7日土曜日の午前中に亡くなりました。
私は本日の日記で、両親の愛について考えてみようと思います。
手前味噌な話で恐縮なのですが、私の子供はユーモラスながら万事に控えめな子で、赤ちゃんのときからどんなレストランに連れて行ってもまったく困らされたことがない、いわゆるおとなしいタイプの子どもです。さらにぶっちゃけて言ってしまえば、親の希望した学校にすんなり入り、そこでも特にやんちゃをすることもなく、比較的厳しく思える学校の教育方針にも順応しているように見えます(今のところは)。
そんなわが子が、突然罪を犯したら──たとえば万引き、いじめなどを犯したならば、自分はそのとき、どんなふうに感じ、どんな行動をとるのだろう…Kのご両親と語らいながら、心の中でまったく別のことを自問していました。
思春期を待たずとも、今このときでも、もし、わが子が万引き(窃盗です)、もっと極端な例でいえば、殺人を犯したら、もしくは自分を殺す罪という意味で自殺をしたら、親である私は、なにをどう考え、どうしたらいいのか。
罪を犯すことだけは許せない、とか、なぜ罪を犯したのか、そこには子供だけでなく、両親にも問題があるかもしれない。罪を犯すに至るまでの原因を探り、両親で、また親子で分かち合いをしながら反省をしていく──これは親であるならば誰もが考えることであり、また親でなくても誰の口からでも言えることです。
でも、罪を犯したわが子を愛せますか。
それでもわが子を愛すのが、親の愛。
Kのご両親を見つめながら、そう思った。
Kが罪を犯したとか、そういうことではなく──この場合、子供の方が先に旅立ったとしても、とにかく、Kのご両親はKを愛している。
親の絶対的な愛を前にして、事実とわが子とは別だ、ということです。
事実とわが子とは別、ということが、Kのご両親は自然にわかっていらっしゃるから、親子の間に起きた事実に、いからない。子に問わない、夫婦で互いのせいにしない。いからない。怒りに心がはまりこんでしまうと、この世は地獄と絶望の世界になってしまう。
なぜわが子がこのようなことになってしまったのだろう──とことん考え、悲しむことは大切です。でも、そこに「なぜ」「どうして」「誰のせいで」などという「怒り」の感情を入れてはいけないことを、私は学びました。
この先、わが子になにがあったとしても、事実とわが子とは別。
もちろん、罪を犯すようなことがあってはいけない。両親のつとめとして、安定した家庭の中で育てていく努力を怠ってはいけないと思います。それでもどうしても、ままならない出来事は起きてくるものです。怪我、病気、いじめ、成績の伸び悩み──そのとき、事実とわが子は別。私はこのことを肝に銘じておかなくてはならない。
いわゆる「いい子」でない部分こそ、伸びる素となることは、自分自身の体験でも実証済みなのに、いざ「その時」になってみないと、自分が親としてどう考え、どう動くのかわからない。手前味噌な話で恐縮なのですが、私の母は、思春期の私のために特別に設けられた「個人面談」の席で先生が私の「小罪」を論う中、胸の内では「この先もずっとこの子を育てるのは私。先生はたった一時のこの子を見ているだけ」と唱え続けて、先生のお小言には平気な顔をしていたそうです。私の母の例を出すまでもなく、親としての余裕は、親であることの喜び、哀しみを重ねてきた人、皆が持ち得るものなのでしょう。
条件付きではない、事実と人とは別の、愛について。
私はまだまだたくさん考えなければならないことがあるようです。
平安期の歌謡集「梁塵秘抄」を鞍馬天狗の祖父と一緒に読んでいたときに、こんな歌を見つけたことがあります。幼い私に、祖父はこう解説しました。
「自分にはわけあって生き別れた息子がいる。生きていれば二十歳になっている。親もいなくて育った子だから、どうせろくな大人になってはいないだろう。ばくち打ちかなにかになって、身を持ち崩しているだろう。でも諸方の神様。どうか今日も、息子に、良い賽の目を出してやってください」
わが子は二十に成りぬらん 博打してこそ歩くなれ
負かいたまふな 王子の住吉西の宮
ばくち打ちに身を持ち崩した息子の姿を予想して、母親はそれでも、サイコロをふるときは、息子に良い目を出してあげてくださいと神々に頼む。これは母の愛です。
たとえは悪いかもしれないけれど、もし、この先にお向かいのお兄ちゃんや妹さんが何かを「仕出かした」としても、パパはふたりを愛している。ふたりに注がれるパパの愛は絶対です。
亡くなった親が残された子に示すような深い大きな愛を、また、残された親が亡くなった子供に与え続けるような愛を、私たちも今この場から実現していかなくてはならないと思うのです。
きみのためなら鬼にも蛇にもなる──■第二十八章 嵐■
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次回更新は8月1日(土)●水、水、水●です。
一緒に見届けてください。
来ます。深良村に、水が。
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7月15日、本日をもちまして一学期のお弁当は終了です☆
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