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山口小夜の不思議遊戯

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2010年01月01日
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             皆様、新年あけましておめでとうございます
            開運☆ジュン兄貴からのお年玉をどうぞ!
 
ジブリ 
           ジュン兄貴のクロスワードが載った『クロスワード』をプレゼント大笑い
           ご希望の方はコメント欄か私書箱にお知らせください。お待ちしておりまーす

 
 
 【今年はいつもと同じ年でありたい】 

 皆様、あらためまして新年あけましておめでとうございます。
 毎年抱負などを語っている私ですが、今年はちょっと肩の力を抜いております。
 今年は──いつもと同じでいきたい。
 今年もみんなと一緒にいたい。
 同じ一年をくり返すこと。これが私の年頭に当たっての願いです。
 なにがあっても、なにもなくても、どうぞよろしくお願いします。

 追:あ。でもひとつだけ具体的な目標を──
   今年、絵本を書いてみたいです!ぽっ

 【寅(虎)について】

 ところで、寅という字は飛んでいく矢を表しているそうですね。
 昔の人は猛進していく虎のイメージを寅の字に当てたのかもしれません。
 虎という文字もやっぱり形にかたどって作られたもので、虎かんむりと呼ばれる虎という字の部首は虎の皮の文様をあらわし、下の部首は虎の前足の形をあらわしています。
 とらかんむりの部首に属す字は、オットの部屋にある大辞典には一〇二載っています。その中には必ずしも虎に関係のないものが大多数をしめており、たとえば、虜はとりこ、虐はむごい、などなどです。ちなみに、とらかんむりの最大画数の字は二十二画、虎に騰と書いて、トウと読み、意味は「黒い虎」だそうです。

 トラという名の語源については『日本釈名』では「とらうるなり、人をとらうる獣なり」などと書いてあるのですが、これはいかがなものでしょうか。中国では虎は異名の多い獣です。昔、中国の陳・魏・宋・楚の地方では李父といい、江准・南楚の地方では李耳といい、西では伯都といったそうです。しかしこれらはほんの一地域の方言であり、中国全体に通じる比較的広い名としては、草冠に免じると書いて「ト」と読みました。この呼び名が日本に入ってきて、「ト」+「等(などという意の助詞)」を加えて、トラとなったのではないでしょうか。これはあくまでも私見ですが──

 さて、中国では虎は昔から神秘的な存在でした。枢星(すうせい)散じて虎になるといって、その前身はお空のお星さまだったのだそうです。また、雲は龍に従い、風は虎に従うとも言い伝えられています。青龍・白虎・朱雀・玄武はいわゆる四禽といい、霊妙不可思議の動物とされていて、四方にかたどられ、四季になぞらえられていますが、それによると虎は西にあたり、秋に配せられています。
 中国では虎は陽の気を持つ動物であり、七の数字も陽の気であると考えられていたことから、虎と七が結びつき、虎は胎内にあること七ヶ月にして生まれ、首から尾までの身の丈は七尺だとされています。
 
 昔の日本では丈夫な子供を望む人は産婦に虎豹勇躍の図を見せたり、子供のひきつけには虎胆という薬を用いたりもしました。男の子に虎太郎、虎之助、などという名をつけるのは、その子が勇猛ならんという親の期待がこめられているのでしょう。

 虎を引き合いに出した喩えとしては、
「虎の尾を踏む(危険なことの喩え)」
「虎視眈々(隙をうかがっているさま)」
 などが有名ですが、
 古く中国で言われている「虎豹の駒(こ)は未だ文(あや)を成さずして食牛の気あり」という言葉は、偉くなる者は小さい時からどこか違っている、という意味の喩えです。同じ意味でも、日本でいう「栴檀は二葉より香ばし」などの優雅なものと比べると、大陸の趣はだいぶ違っているのが明らかです。

 さて、人の噂も七十五日といいますが、その反対に、火のないところに煙が立って、いつしか噂が実となることもあります。これを「三人市虎を成す」と言い表します。
 むかし、魏の鳳共(ほうきょう)は太子とともに趙の都邯鄲(かんたん)に人質にやられました。その間にいろいろ鳳共の悪口を言う者がいたので、鳳共は魏王に訴えて言いました。
 「いま、一人の者が市の真ん中に虎が出たと言いましたら、王はお信じになりますか」
 「信じる馬鹿がいるか」
 「では二人が言ったらお信じになりますか」
 「信じるものか」
 「では三人が言いましたら」
 「それは信じるよ」
 そこで鳳共はすかさず、
 「それです。虎がいるはずはないけれども、三人まで言うと市の虎ができあがる。衆口の恐ろしさはそこにあります。今、私を讒言している者どもは三人以上です。どうかその点をお考えになってください」
 と申し立てたので王は感心して書き留めさせたという話から、「三人市虎を成す」という言葉ができました。

 また後漢の班超は夷を攻めるのに夜を選ぶのが良策と考えましたが、時の王はそのことに危惧の念を抱き反対しました。ですが班超は「虎穴に入ずんば虎子を得ず」と若干の危険を犯さなければ功は立てられないと言って人々を諭しました。
 ほかには「虎口を去って慈母に帰す」とは危険な場所を逃れて安楽の地に帰るという喩えですが、これは渡源の徐宣が光武帝に帰服した時の言葉です。
 それから「虎の鬚をなでる」とは、権威のある人のご機嫌をやわらげ、やがては権者の勇猛を押える喩えですが、これは呉の朱桓の言葉から出ています。
 そのほか、「虎の為に翼を附ける」といえば猛悪の人に権威を添える喩え、「虎を描いて狗に類す」といえば、豪傑を気取ってかえって軽薄に陥る喩え、「虎口を脱す」といえば、危険を逃れる喩え、「虎首を争う」といえば、功名栄達を争う喩え、また、「虎の豚を食うが如し」と言えば、弱肉強食の浅ましさを示す喩えです。

 最後に虎の怖がるものと、虎より怖いものの例をあげてみます。

 宋の蘇東波が雲安地方で実際に見たものだそうですが、ある時、二人の子供が川辺で砂遊びをしていました。そこへ一匹の虎がやってきて、子供たちに迫りました。ですが無心の子供たちはただニコニコしていて喜ぶばかりだったので、とうとうその虎は恐ろしくなって山へ逃げ去ったというのです。これと同類の話は朝鮮半島などにも数多く伝えられています。
 「善く生を摂する者は陸行虎兜に遇わず、虎も其の爪を措く所無し」と老子も教えているとおり、疑心が暗鬼を作るのであって、はばかるところのない者には、おそろしいものなどないことの喩えとなっています。

 つぎに虎よりも怖いものの話。
 孔子が門人を引き連れて旅行中、太山のかたわらにさしかかると、ある墓場のわきで泣き伏している婦人があります。尋ねると、婦人は「むかし自分の舅にあたる人が虎に噛み殺され、夫も殺され、その悲しみの絶えないうちに今度はまた自分の大切な子供までが虎に食われたのです」と一身の不遇を物語りました。
 驚いた孔子が、「ではなぜこの地を去らないのか。ほかに虎のいない地方もありそうなものだ」と言うと、婦人は「でもこの地は過酷な政治が行われていませんから」と答えました。
 この話に感じた孔子は門人に向かい、「よく覚えておくがよい、これを『苛政は虎よりも猛し』という」と教えたとのことです。

 折りしも、本年は寅年。
 今日でも政治にたずさわる人々が耳を傾けるお話だと思います。

 私見を聞いていただき、ありがとうございました。 

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          1月29日、おもちゃのお弁当箱vマトリョーシカちゃんたち^^

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     1月15日、「李徴v」と言ったらオットが「猫や」と爆笑した;

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  次回更新は2月1日(月)です。

 ◆コメント欄でお知らせしたとおり、フリーページの方に新しい連載を始めました。
  ただし、この連載は日記にリンクを貼らずにおこうと思っております。
  どうぞフリーページから■Pieta■というタイトルを探していただいて、お読みいただければさいわいです。また、胸の痛む内容ということもあり、読み進めていただくかどうかは、謹んでお任せいたします。

  このような事情ゆえ、リンクは貼っておりませんが、どうぞぜひこちらのコメント欄にはご感想をいただければ励みになります。もちろん、お読みにならないことを選択された場合も、本文の内容とまったく関係のない話題、今日の気持ちなど、これまで通りぜひお寄せください☆
  ご協力をありがとうございます。

  【更新の内容について】
  子供たちを性的に虐待してはならない──多くの人にとっては言うまでもないことですが、残念なことにすべての人がそう考えているわけではありません。
  そして、現代社会では少女たちだけでなく、少年たちもさまざまなかたちで性的虐待の対象となっています。しかし、性を語ることへの偏見、誤解や思い込みが根強い中で、少年たちの性被害が認知される機会は極めて少ないのです。
  これまでの知識は、主に少女や成人女性の経験に基づくものであり、性的虐待を受けた少年の治療に関わる症例や臨床的知見は、諸外国を見渡してもごくわずかなものしかありません。被害者となった子供には適切なケアが必要であるにも関わらず、少年たちの多くは自らの被害経験を語る場すら持っていないのです。

  少年の性的虐待のケースで特徴的なこととして、その大部分が既知の人物による虐待であることが、現在の調査では明らかになっています。特に近親者が関与している虐待の場合、被害者である子供たちに過度な罪悪感、恥辱感を引き起こしたり、法制度や治療機関がさらなる問題を誘発したりすることがままあります。これによって、かれらが自分の被虐経験を話したり整理したりする機会がきわめてまれなことになってしまうのです。

  性的虐待を受けた少年たちは、自らの経験をどのように受け止めているのか。なぜ、それを語れないのか。誰が虐待者になるのか。そして、被害者となった少年をどのようにして支援していけるのか。
  かれらに対して私たちが次に取るべき行動について、皆様とともに手がかりを探していきたいと思います。


  






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最終更新日  2010年01月29日 20時21分27秒
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