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山口小夜の不思議遊戯

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2010年07月02日
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 【長兄の跡継ぎが誕生しましたv】

 皆様、一緒に喜んでください!
 われらがリーダー、山歩きの長兄の跡継ぎがついに誕生しました!!!
 6月26日、2875g、男の子ですv
 長兄の家庭では、またイチから始まる子育てになりますが、この子とは今後とも長い付き合いになると思うので、その成長を楽しみに見守っていきたいと思います^^

 なにはともあれ、めでたい。
 さて、非常に有名な山岳部に所属していた私の亡き父ですが、思えば父が私に山を教えたのは、北海道の利尻富士のひとつだけでした。57歳で亡くなった父には、娘にゆっくり登山の楽しさを教える時間がなかったのです。
 私自身もともとそれほど山やトレッキングなどに興味を持たない子だったので、機会はどんどん失われていったのでした。
 
 そんな私に、徹底的に山を教えてくれたのが、みくまりの兄と、この長兄でした。
 山にはあまり興味のない私でしたが、鳥取の分校の学級文庫に宮沢賢治の童話『なめとこ山の熊』という本があって、私はそれがとても気に入っていました。「なめとこ山の熊のことならおもしろい」とはじまるこの物語の冒頭で「ほんとうはなめとこ山も熊の胆も私は自分で見たのではない。人から聞いたり考えたりしたことばかりだ」と賢治は書いています。では、いったい誰から聞いたのだろうか、私はわくわくしました。

 主人公の猟師、小十郎は熊を捕ると「熊、おれはてまへを憎くて殺したのでねぇんだぞ」と話しかけます。小十郎はある日、冬の狩りに出かけて、逆に大熊に狩られてしまいます。熊を狩っていた彼が熊に殺されてしまうのです。熊は言います、小十郎、おまえを殺すつもりはなかったと。そして、三日目の晩に小十郎の亡がらを熊たちが葬ります。
 熊たちが小十郎の亡がらを囲んで、その魂を送るというラストシーンは、鳥取の山中を行く「渡り」の人々が獣を獲ったときに行う儀式と重なることを、私は幼いながらに気づいていました。

 鳥取の里には、ある一定の頃合いに「渡り」の人々が入りました。
 独特の文化を持つこの「渡り」の人と、村に定住する人々は、とても仲良しでした。
 「渡り」の中には子供たちもいて、村の子供は年に数回だけ会える友人たちの訪れを楽しみにしていました。分校で、一緒に勉強をしたこともあります。けれども、彼らは村にいる間も山の中を好み、そうなると豊などは渡りの人々が来ると学校などそっちのけで、「牡丹」という名の同い年の少年と、渓流のこっちがわとあっちがわの大きな石に座って、何時間も語り合っていたものでした。

 「牡丹」という名も、実は少年のほんとうの名前ではないのでしょう。
 山の中では、自分のほんとうの名前を口にしてはいけないのです。
 そのほかにも山での作法はいろいろあって、一口には言い表しがたいものです。


 ・瀬戸物は持って行ってはいけない。
 ・衣類にボタンをつけてはいけない。
 ・歌を歌ったり、大声をあげてはいけない。
 ・自分のものと間違って他人のものを使ってはいけない。
 ・山言葉は厳重に守ること。
 ・手拭いは使ってはいけない。
 ・弁当は必ず一口残す。
 ・人の真後ろに立って話しかけてはならない。
 ・小便をするときは崖側ではなくて山肌に向かってする。
 ・四つ足の動物の名前を呼んではいけない。
 ・ある一定の音をさせないこと。
 ・下着の色は必ず白。
 ・お守りに刃物を持ち、一夜を明かすときは刃物を枕にする。

 山の掟にあるように、山の中では通り名や屋号、あだ名で呼び合い、本名を呼んではいけません。鳥取の里での「本名」についての扱いのことですが、分校の先生でさえ、本名は呼びませんでした。本名を大切にすると同時に、人と「そうでないもの」を区別するためだと聞きました。ひとりで山に入った時、夕暮れ時にひとりでいる折、通り名ではなく名前で呼ばれたら、それは「神」か「魔」が呼んでいるのだから、返事をしない、振り向かないで一心に歩を進めること。ゆたが山で「ゆたか」と呼ばれたら、気をつけなければならない。すせりなが「あやいちろう」と呼ばれたら、それは「人でないもの」に呼ばれているのだと。

 遭難したら助けて、と叫んでもいいが、迎えに来てと口にしてはいけないとか。
 山で“ある一定の音”をさせると、それを合図に山が開いて“呼ばれる”ことがあると聞いたこともあります。熊鈴などは熊を避ける目的としてはあまり有用ではないばかりか、山中で“ある一定の音”を長時間鳴らすことにもなるので、あまりお勧めしません。
 山で呼ばれたり引かれたりする時には後ろ髪を引っ張られるので、女の人は髪を切るか、男は坊主にすると魔除けになるといわれています。

 四足の動物の名を呼ぶ場合には、しのよつ(鹿、四つ足の意)"とか"ふたつ(猿、二足歩行するから)"とか様々な隠語を使います。どうしてかというと、山の主や物の怪が動物と関係がある場合があるので、下手に名前を呼んで怒らせて、災いが降りかかるのを警戒しているのです。
 特に中国山地には"主"と呼ばれる動物が多く集まるので、注意した方がいいわけです。ちなみに、鳥取は鳥の加護があるので鳥の名は忌み言葉にはなりません。

 こうした禁忌事項に違反すると、山の人は寒中の雪山にもかかわらず、沢水で水垢離をとって身を清めなければなりません。
 山言葉とは、山中で使用される独特の言葉で、たとえば槍を「なめ」、熊を「なべ」、米を「くさ」、雪を「ひた」などと言い換えます。
 里の人も、山に入ると家や集落にいるときとはまったく異なった言葉を用います。山菜採りなどで山に入って、自分の家が見えなくなると、山言葉を使用しなくれはなりませんでした。
 村の子供たちは、山言葉を「渡り」の人に教わります。親や兄弟から教わってはいけません。山言葉を教わる方は水垢離をとった上で、誰にも聞こえないようにして女性も遠ざけ、一対一で教わりました。

 また、山の人は穢れ火というものを嫌い、祝言やお産、葬儀などがあった家の火で作ったものを口にしません。口にすれば、もう山はダメなんだそうです。
 祝言は里ではおめでたいことですが、山の人は祝言火を最も嫌い、この火の通ったものを口にすると、まるまる一年、山には入れなくなるのだとか。次に嫌うのが産火で、山の人に子が産まれると、男の子なら48日目、女の子なら50日目まで人目から隠すとか。死火は七日、その場に居付かなくてはなりません。
 
 里の人も、山の暦に気を使います。月の六日、日の七日はよくないとか、六日に山に入って九日に帰ってきてはいけないとか、山に入って不吉なことがあれば、いったん家に帰って出直したりします。「月の六日」というのは月頭の六日のことで、「日の七日」というのは、毎月の七日、十七日、二十七日のことです。
 このほかにも、山に用いるリュックや道具などは、山に入る前に火打石を打って払っておく。ひとたび火打ち石を打ったものを人がまたいだり、蹴飛ばしたりすると山に入るのをやめる。また、山に持っていく食糧をみると、麺類は山入りが長引くといって嫌われます。

 いっぽう、山の人の組織では「ふじか」と呼ばれる頭領の下、「ながら」「ほうじょう」「しのぼ」とそれぞれの階級に分かれ、その各々に役割がありました。「ふじか」は山の神の代理者とみなされ、絶対の権力を持ち、そのかわり朝は誰より早く起き、夜は皆が寝た後に沢で水垢離をとらなければなりません。「ながら」は「ふじか」の命令を下の者に伝え、「ほうじょう」の意を「ふじか」に伝える仲介者で、火の管理を担います。「ほうじょう」は食糧の管理や皆の道具や衣類の修理をし、「しのぼ」は獲物の分配を受け持ちます。

 獲物の分配にも細かな作法があります。
 これは「身取り」と呼ばれ、「ふじか」が水垢離を取ってから、獣の左足のもも肉(しんがめといいます)を切り取ります。49片切り取った後、それを7本の栗の木の串に7片ずつ突き刺します。その後、7本の串から肉片を1片ずつ取り、木の椀に入れ、それを左手に持ち、右手に持った栗の木の箸で肉片を取り、そのまま額にかざして「ゆとがえの唱え」をします。この唱え言は人に教えたりするものではないとされ、唱えるときにも人に聞こえるか聞こえないかの小さな声で、自分の胸の中で思うくらいの気持ちで行います。この唱え言を知っているのが「ふじか」で、唱え言はいつか「ふじか」が次の「ふじか」へ、この人と思う人にだけ伝授していきます。

 私がその場に居合わせた折、ちょっとだけ唱え言が聞こえたことがあります。
 『コレヨリノチノ世ニ生マレ 良イ音ヲ聞ケ』
 と聞こえました。

 山の人は、山のものはすべて山の神様のものだと考えています。その山の神様のものである獣を獲り、命を奪うためには、どうしてもあるプロセスを経なければならない。それが山の掟を守ることであり、日常語とは異なった山言葉を用いたり、水垢離を取ったりすることで、ひとつの「行」をするのです。その行をしてはじめて山の神様から獲物を授かることができるのです。授かった獲物の魂は、山の神様に返さなくてはなりません。命ある獣の祟りが人間に及ばないように願い、魂を山の神様のもとへ帰すための術、これが「ゆとがえ」なのです。

 獲物が取れた日の夜は、粳米を炊き、胡桃の木で小さな杵をつくり、それでもって椀の中で餅をつきます。それを「さんけい」といいますが、丸めたものを12個山の神に備えます。

 中でも不思議なのは、冬眠中の熊の猟です。
 熊は冬至の十日前に穴に入って、春の土用の十日前、4月10日時分に穴から出てきます。この冬眠している間に、母熊は雄と雌の一頭ずつを産みます。一頭しか産まないものもありますが、だいたい二頭です。子を産むのは冬眠中の節分の頃で、山の人は穴に入った熊を専門に獲って歩くこともあります。冬眠中の熊は、胆が太っていていいし、毛も柔らかくて揃っているためです。
 ところが、子が入っている時分に猟をしたとしても、お腹の中に子が入っていたためしがないのだそうです。どういうわけか、これまで何十年と山の中で暮らし、何十頭と熊を捕ってきた人でさえも、子が入っていた熊を捕ったことはないし、話にも聞かないそうです。
 熊は人間が来たなとなると、腹の中の子を山の神様にお願いして、出してもらって、自分亡き後、どこぞで育ててもらうようにするのだと、山の人は言い伝えています。とても不思議なことです。

 いまだ山歩きに興味が持てない私ですが、大人になった今でも山の不思議には心をとらわれています。
 長兄の跡継ぎとなる子も、いつか山の子になっていくのでしょうか──

 

      水平線の彼方までv

      7月14日、行こう!今年の夏も、水平線の彼方まで──

      パウル~^^

               7月13日、パウル~^^

      ちっちゃいハンバーガーたちv

           7月2日、ちっちゃいハンバーガーズv

 ◆応援ありがとうございます!
  次回更新は7月16日(火)です。
 ◆フリーページに【Pi:e:ta】第11節をアップしております。






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最終更新日  2010年07月14日 09時03分48秒
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