カテゴリ:ヤ行作家
民俗学者の柳田国男が戦後1952年から1962年頃に書いたものを集めた文集です 先日読んだムヒカさんの言葉と似たものを発見して驚きました 「富めるものがおごり、わがままなことをするということはむしろ現在がいちばん激しい。この民主主義なんといっておる世の中において、かたわらにあすの日の食べ物がないがために、親子夫婦が一緒に死ぬなんていう哀れなことが、ちっとも隠さず新聞出ているにもかかわらず、また日本の生産物の数量が限りがあって、これを平等に分配するならば、ひとりひとりの持ち物のどのくらいであるかということが、おおよそわかるにもかかわらず、これを手を押さえて、その消費を制限するものがないのを奇貨として、ひとりで余分なものを使い、食べてしまって、消費の分配というものが、今日くらい不公平な時代というものは、いくら世の中が開けてからでもなかった」 まさに今現在のことを嘆いているようです また日本民族について 「東洋には古くから大勢(たいせい)という言葉が流行していて、一つの新しい傾向が芽ばえてくると、その価値を確かめもしないうちから遅れずについていこうとしてあせる気持ちがあった」 「政治家はこれを利用してきた。また民も国の政治を任せて満足できた。しかし、こういう現象にも限度があって、人口が増加し、群衆というものの中に争いの気分だけで集合するものが非常にふえてくると、大勢だけで物事を考えようとする弊害がいっそう濃厚になった。政治家にとっては、この大勢で物事を判断するほうが手っ取り早いために、利用というよりもむしろ愛用されるきらいが多いのである」 「外国に従属することもいとわないという植民地根性は、かなり強い力となって今日もなお指導者のあいだに共通している。こうしたもろもろの経験は、これから先も、日本人としてぜひ利用しなければならない重要なものであるために、中途でこの結果を大勢論者にまかせておかないで、われわれが想像しているような大きな結果があったかどうか、つまりこの思いがけない人口の増加というものは、国内の闘争を激しくするのみならず、昔から持っていた愛他心、すなわち見ず知らずの人間でも心を動かせば助け導いてやりたいという心持をそぐことになりはしないか、これは大切な目前の問題である」 「日本では島国でなければ起こらない現象がいくつかあった。いつでもあの人たちにまかせておけば、悪いようなことはしないだろう、ということから出発して、それとなく世の中の大勢をながめておって、皆が進む方向についていきさえすれば安全だという考えが非常に強かった。群れに従う性質の非常に強い国なのである。そのために、ややすぐれた者が、ややすぐれない者を率いる形になっておったのでは、真の民主政治がいつまでたってもできる気づかいはない」 約50年も前の随筆的な文章ですが、当時の世相が今とあまり変わらない、と思うのは私だけではないと思います 政治家にひとかけらの良心があった頃は、“考えない日本人”でも極貧生活に陥ることはなかった。 しかし今は違う、自分で考えて行動しなければ、明日の食べ物にも困る日が近い将来きっと来る
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最終更新日
2022.01.19 19:28:56
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