カテゴリ:京の見どころ
. 勧修寺(かじゅうじ が正式な読みですが、地名も含め かんしゅうじ と呼ばれるのが一般的です) 山号は亀甲山(きっこうざん)で真言宗山階派(やましなは)大本山です 平安中期の900年醍醐天皇が生母藤原胤子(いんし)追善の為創建され、以来皇室との繋がりが深く代々の法親王が入寺、門跡寺院の格式を維持してきています 境内西側の芝生と池に面し建てられた楼閣風の「観音堂」、諸堂の中で一番新しく昭和初期の建物で観音像が祀られ、頂には鳳凰が飛び立とうとしています(左下UP転写) (左)「勧修寺正門」 境内東側に位置する諸堂は徳川綱吉の帰依を受け再建されています (右)「書院(重文)」 江戸初期の書院造りで1686年後西天皇の旧殿を下賜されたもので、飾られていた国宝刺繍釈迦如来説法図は勧修寺繍帳とも呼ばれ今奈良国立博物館に所蔵されています、又一の間の違い棚は勧修寺棚と呼ばれて有名、現在書院は非公開です (左)「宸殿」 1697年明正天皇の御殿を下賜されたもので、入母屋造り桟瓦(さんがわら)葺きで格子戸の美しい建物です (右)「本堂」 元は近衛家の建物で、ご本尊千手観音菩薩立像は醍醐天皇の等身像であったと謂われていますが、現存の像は室町時代の作のものです 観音堂前の池泉回遊式庭園「勧修寺氷池園(ひょうちえん)」がワイドに拡がります 南大日山と醍醐の山々を借景として奥行きのある空間と四季折々の美しい色彩が合わさる風情ある庭園です 庭園の中心「氷室(ひむろ)の池」平安時代には、毎年1月2日にこの池に張る氷を宮中に献上し、その氷の厚さでその年の五穀豊凶を占ったとされています、京都でも指折りの古池です 今いちめんに咲く睡蓮(スイレン)です、今少し経てば頭をだす蓮(ハス)の花との競演が観られます 池面にピンクと白の彩 きれいに映えています 時折舞い降りる野鳥と池中の緋鯉が静かな水面を揺らします 池端には杜若(カキツバタ)の淡い紫と白の花 みどりの葉とともにゆれています 花しょうぶと思ったのですが、こちらのご住職の説明はカキツバタ、少しすれば花菖蒲も花ひらく様です (左)薄紫のカキツバタ ひらいた花・今にも開かんのところ・まだ蕾の三態です (右)珍しい野生の黄しょうぶ、鮮やかな黄色がひときわ際立ち共に池端を彩っていました 書院と本殿の前庭に広がるのは枯山水庭園の「平庭」です (左)ここにも緑いっぱいの杉苔が覆っています (右)「臥龍(がりゅう)の老梅」江戸時代に京都御所から移植された白梅で、親・子・孫三代のおめでたい古木です、親は根のみ、子は枯木で共に龍を現し、孫は力強く伸びています 右側は「勧修寺灯篭」 水戸光圀公の寄進による灯篭で、背が低く笠が大きいユニークな形が有名で勧修寺型と謂われ 水戸灯篭・雪灯篭とも呼ばれています、黄門さまらしいユーモラスなスタイルとの説明が加えられてあります 中央は樹齢750年と謂われる「偃柏槙(ハイビャクシン)」の幹と伸びる枝、一本の木が地を這い前うしろに枝を広げる"ひの木科"の常緑灌木で、我が国でも名高い名木に数えられています 手前、波うっているように見えるのが地に這って伸びるハイビャクシン、奥は大きな青もみじ越しに見える観音堂です (TOPページに「花いろいろ」UPしています、今花しょうぶですホームで見て下さい) ........................................................................ 京都市営地下鉄・東西線 「小野」下車 西へ徒歩5分 勧修寺関連頁 URL---http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/kajyu-ji.htm (勧修寺HPはありません) ------------------------------------------------------------------------ 被災地に届けよう!
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