カテゴリ:京の見どころ
. 臨済宗大本山・大徳寺塔頭 龍源院(りょうげんいん) 1502年大徳寺72世・東渓宗牧(とうけいそうぼく)禅師を開創として、能登・畠山義元、豊後・大友義長ら領主により「霊山一枝軒(りょうぜんいっしけん)」と名付けられ創建された、大徳寺山内では最も古く歴史ある寺院です その後大徳寺の山号龍寶山から"龍"と、臨済宗の祖と謂われる中国松源派の"源"の両字から「龍源院」と称されることとなります 「表門」(重文) 開創当時の建立で四脚門切妻造、桧皮葺きの重厚な門です 門内の緑があざやかに目に飛び込んで来ます 「庫裡」 今こちらが玄関となります (右)石畳の参道奥が木々で覆われていますが「唐門」(重文)桧皮葺の正面玄関です、今は閉ざされて左の庫裡から入ります 「開祖堂」 開祖・東渓禅師の塔所(たっしょ・祀所)で唐様木造建築の代表作とされています (右)「本堂(方丈)」(重文) 1502年に建立され唐門も合わせ、禅宗方丈建築の様式を残した唯一最古の遺構とされています、一重入母屋造り、桧皮葺きの建物です 「木造釈迦如来坐像」(国宝) 鎌倉時代の傑作と謂われ1250年僧・行心造の墨書があり、京都八釈迦の一体とされています 「龍と波の図」襖絵 方丈室中の全面十六枚に豪胆に描かれた襖絵で、筆者は不明ですが桃山時代の作と謂われています 「竜吟庭(りょうぎんてい」 方丈の北側に面する苔で覆われた北庭、室町時代特有の三尊石組からなる須弥山(しゅみせん)形式の枯山水庭園で絵師・相阿弥(そあみ)の作と謂われています 杉苔で洋々たる大海を表し、28個の石と石組で島と陸地をかたち造り仏教の教えを説くとされています 中央が須弥山(シュミセン *サンスクリットSumeru、スメール山 インド仏教で一番高い聖山を指します)で左右を合わせた石組は三尊石を顕し、その前の板石は「遙拝石(ようはいせき)」三尊石を仰ぎ拝する信心の心の表れとされます 「開祖堂前庭園」 杉苔がいっぱいに広がっています (右)同庭園に置かれている「桃山型石燈籠」で元大宮御所から移されたものです 方丈前庭(南庭)の「一枝坦(いっしだん)」 冒頭に記した寺名霊山一枝軒からとって命名されています、白砂と7つの石で簡潔に抽象的な蓬莱山の世界観を表現した庭で、掃き整えられた直線と曲線、石や石組と苔地に配置の妙が感じられる枯山水庭園です 手前丸くかたどった苔の中に岩が立つ亀島が非常に印象深く飛び込んで来ます 白砂で大海原をあらわし、左手の石組みが仙人が住むと伝えられる不老長寿の吉祥の島"蓬莱山"を模り、右手の石組みは鶴島を現している典型的な禅宗庭園です 「滹沱底(こだてい)」 書院南側の阿吽(あうん)の石庭です 宗祖臨済禅師の住い中国河北省の滹沱河(こだがわ)よりの銘で、白砂に豊臣秀吉が建立した聚楽第の基礎石(凹凸石)が東西に配されている庭です 阿吽の石庭 西側の穴の開いた石「阿の石」(凹石) (右)東側は「吽の石」(凸石)です 「東滴壺(とうてきこ)」 方丈東側の日本最小の壺庭で、白砂に三石と二石の2群の五個の石のみで表現されている庭です UP上は奥の二石、下は手前三石です 豊臣秀吉と徳川家康が対局した折使われたという四方蒔絵の碁盤と碁筒(後方鏡に映っています) (右)当院に伝わる1583年の在銘のある日本最古と謂われる種子島銃 今日の一枚再度「竜吟庭」 碧々した杉苔と石組みが見事に調和して、静かに眺めていると時の経つのを忘れます (龍源院、方丈内仏像・襖絵も含め写真の制限なしです、比べ本山・大徳寺は寺内は勿論庭園も写真一切不可、疑問大) (TOPページ今京都・五山の送り火です ホームで見て下さい) ........................................................................ 京都市バス 「大徳寺前}下車 すぐ 龍源院関連HP URL---http://everkyoto.web.fc2.com/report626.html (龍源院HPはありません) ------------------------------------------------------------------------ 被災地に届けよう!
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