カテゴリ:京の見どころ
. 日蓮宗 大虚山(だいきょざん)・光悦寺 1615年桃山・江戸初期に、代々稼業とし現在も続く刀剣の砥ぎ・鑑定から書画や漆芸・作陶・蒔絵・彫刻等多岐の分野で独自の芸境を展開した芸術家・本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)は徳川家康公よりこの鷹ヶ峰の地を拝領し、一族及び工匠らと移住し光悦村として芸術郷を築きます 現在この付近一帯は鷹ヶ峰光悦町と名付けられ、鷹峰三山(鷹ヶ峰・鷲ヶ峰・天ヶ峰、TOP画像です)を望む景勝の地です 光悦は本阿弥家先祖供養の霊屋として位牌堂を設けていたが、没後自ら深く信仰し法華経寺院の発願をしていた経由から、日蓮宗本法寺の日慈上人を開山に迎え光悦寺に改められます ↑玄関らしきものはなく、趣ある細長い参道(元々寺でなく住居への緑溢れる通路でした)が奥深く続きます 寺内も含めこのお寺らしくない参道は光悦寺の見所の一つです 石碑は寺名でなく「本阿弥光悦翁𦾔蹟」とあります ↑少し進むとようやく寺らしい簡易な門が造られ通路まだ先へ続きます ↑暫く行くと出会う建物、珍しい趣ある茅葺きの鐘堂です 元禄3年(1690年)鋳造とあります ↑境内に七棟設けられている茶室への待ち合い処と庫裡本坊(右)です ↑「本堂」右下の扁額「光悦寺」は開山日慈上人の筆です (右)中には入れませんが本尊十界曼荼羅を安置し、宗祖・日蓮上人がお祀りされています ↑鷲ヶ峰を背にして庭のほぼ中央に位置する「光悦寺垣」です、光悦翁の創作と謂われる竹で作られた透かし垣で、光悦寺の有名な遺跡です ↑みどりの苔と楓の庭に溶け込んでいる光悦寺垣、長さ18mのもので枠を半月状に曲げてその中に菱形の格子を組んで作られ、徐々に高さの変わる独特のもので牛が臥せている姿に似ているところから臥牛垣(ねうしかき)とも呼ばれています ↑茶室「大虚庵(たいきょあん)」 光悦翁が居室として使っていた処でその名より寺号大虚山(だいきょざんと読まれます)とされたもので、翁はここで80年の生涯を終えます、切妻造柿葺の建物で大正の時代に入り五帖台目の茶席に改められています 茶室は光悦寺垣に面し建てられていて、右は建物正面です ↑もう今迄の写真からお気付きと思いますが、境内に溢れる楓の葉は先の方から色ずいて、一足早く秋の気配が感じられます これより下は、境内に点在する茶席とそれを巡るきれいな参道をご覧下さい ↑「三巴亭(さんはてい)」 数寄屋造りの八畳二室と水屋からなる茶席で、一室は光悦堂と称し仏壇に光悦翁の木造が安置されています ↑「了寂軒(りょうじゃくけん)」 鷲ヶ峰の借景が綺麗な茶席で、常題目堂のあった処と謂われ又この名光悦の戒名にもつけられています、前庭のドウダンツツジもまた有名です ↑「本阿弥庵」 一族の名が付いた茶席で、境内一番南にありはるかに京都市内を望める処に建てられています (右)本阿弥庵前に置かれた石燈籠と蹲踞(つくばい)です 茶室これ以外に「徳友庵」「騎牛庵(きぎゅうあん)」「自得庵」が点在しています ↑「本阿弥光悦墓碑」 境内の木々の覆われた一角に静かに立っています 「了寂院光悦日豫(ヨ)居士」と刻まれています (右)境内を散策して見上げると、色ずき空に綺麗に映えていました 本阿弥光悦は茶道に於ても一流一派に偏することなく、古田織部や織田有楽斎にも教えをうけ、千宗旦とも深く交り茶道の奥義を極めたと謂われています ↑今回の一枚、長く続く菱形に敷かれた石畳と緑溢れる参道です 境内巡ってみるとお寺と云うより「山荘」と云う風情が広がり、参道の雰囲気はまた「茶席への垣の小道」と呼ぶのが似合っています (TOPページに「花いろいろ」UPしています、今百日紅です ホームで見て下さい) ........................................................................ 京都市バス 「鷹ヶ峰源光庵前」下車 すぐ 光悦寺関連HP URL---http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/koetsu-ji.htm (光悦寺HPはありません) ------------------------------------------------------------------------ 被災地に届けよう!
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