笑顔を待っていてくれる人がいるから、頑張れる
先日、乳ガンで闘病中の小林麻央さんがお亡くなりになられたと報道されました。心からお悔やみ申し上げ、ご冥福をお祈りいたします。まだお若く、ましてやあんなに小さなお子さんを残して旅立たねばならなかった彼女。どれだけ心残りだったろうと想像すると、本当に胸が痛みます。私は、彼女が亡くなってから彼女のブログを見せてもらったのですが、掲載されていた写真の笑顔と目力がとても印象的でした。勿論、私たち一般人とは違って他人に見られる立場の方ですから、笑顔を作ることには慣れていらっしゃるのかもしれませんが、顔ではなく目の表情 (という表現が適切かはわかりませんが) の力強さを見て、「彼女は生きることに本当に前向きだったんだなぁ」 と感じました。病気という現実を突きつけられて、ひとしきりショックを受けた後、人生を前向きに頑張ろうと立ち上がることができるか、或いは絶望に陥って頑張ることができなくなってしまうか、その分かれ目って何なんでしょうかね、、、いろいろ考えてみたんですけど、自分が笑顔になることを待っていてくれる人がいるかどうか、っていうのは、やっぱりかなり大事な要素なんじゃないかなぁ、って思いました。じゃあ、私自身はどうなのかと自分の人生を振り返ってみると、やっぱり私もそうだったのかもしれませんね。7歳で腎臓病を発症して生活や食事に制限が出始めた時も、18歳でネフローゼになりステロイドと免疫抑制剤と抗凝固剤のカクテル療法を受けた時も、24歳で透析人生をスタートしなければならなかった時も、「前向きに頑張る」 と 「これ以上頑張れない」 の選択肢から前者を選んできたのは、私が笑顔でいることを両親が望んでくれていたからなのかもしれません。勿論、当時はそんなことを考えて生きていたわけではありませんが、私は昔も今もそんなに強い人間ではないので、天涯孤独な身の上で誰からも期待されなかったら、頑張ることはできなかった気がします。それに、、、。私が笑顔で人生を歩んでいる姿を見て、両親が笑顔になってくれること。私が仕事をしている姿を見て、同僚たちが透析患者の社会参加に理解を示してくれること。私が趣味や旅行を楽しむ姿を見て、友人たちが私と一緒にはしゃいでくれること。そんな “見返り” もあるから、私は頑張り続けられるのかもしれません。麻央さんのように 「生きたい」 と強く強く願っていても、願い叶わず志半ばで旅立たねばならなかった人が、世の中には大勢います。そんな中、透析という技術によって生き続けることができていることに対し、改めて感謝しなければならないと思いました。今後とも、ヨロシクお願いいたします★ → にほんブログ村 皆さんの応援が励みになります★ →