命の選別
我が職場のMドクターの娘さんは、今医学部の学生さんなんですけど、その試験の面接の際に、次のようなことを聞かれたそうです。ここに2人分の薬があります。しかし患者は3人。10歳の子供と、40歳の女性と、80歳の小柄な女性です。医者として、あなたはどうしますかこの話をMドクターから聞いた時、もし私が受験生の立場だったとしたら、「1人分を、子供と80歳の女性に半量ずつに分けて投与し、もう1人分を、40歳の女性に投与する」 と答えただろうなと思いました。(80歳の女性を敢えて “小柄な” と表現したところに、出題者の意図を感じたので。)因みに、Mドクターの娘さんの答えは、「10歳の子供と80歳の女性に、薬をそれぞれ1人分ずつ投与し、40歳の女性には何も投与しません」 だったそうです。当然その理由も聞かれたそうですが、「40歳なら若くて体力もあるので、その人の持っている自然治癒力に期待します」と答え、その答えが合否にどのくらい影響を与えたかはわかりませんが、結果的には見事に合格して今に至っているわけです。これって、命の選別をしているわけですから、とっても難しい問題だと思いませんかこの大学の面接官が、どういう基準で評価をしたのかは全くわかりませんが、個人的には “正解” なんて決められるものではないと思っています。私はよく “十人十色” という言葉を使いますが、例えばこの問題にしたって、答える受験生が置かれた状況によって、選択肢が変わってくる可能性は充分に考えられますよね小さな妹や弟がいる受験生だったら、子供を優先すると答えるかもしれませんし、おばあちゃんっ子の受験生に聞けば、80歳の女性を優先すると言うかもしれません。更に、患者の設定が少し違っていたら、どうでしょう例えば、持病の有無、家族の有無、性別の違い、社会的立場の違い、等々。持病のある10歳の子供、3人の子供を育てるシングルマザーの40歳の女性、今も現役の80歳の女性政治家、という選択肢だったらどうなのかあるいは、大人と同じくらいの体格の10歳の子供、独身の40歳の男性、妻を介護中の80歳の男性、という選択肢だったらどうなのか考えれば考えるほど、難しくなってきます。大半の (残念ながら “大多数” とは言えません) 医療従事者は、患者さんを全員救いたいと思って仕事をしていますし、命の選別なんてことは極力したくないと思って患者さんと接しています。しかし、災害時のトリアージのように、平時なら救えるであろう命の選別を強いられる場面だってありますよね。透析も、かつてはそうだったと聞いています。原疾患や年齢、仕事の有無や性別で、透析を受ける人を “選んでいた” ということは、透析を受けたくても受けられずに亡くなった方が大勢いらしたということです。患者さんやご家族ももちろん辛かったと思いますが、目の前の患者に 「あなたは透析できません」 と言わざるを得なかったドクターや、そう言われてしまった患者さんと向き合っていかなくてはならなかったスタッフも、相当辛かったんじゃないかと思います。そんな時代を経て、今この国で生きている私たちは、誰もが (患者が望むなら) 透析を受けられる時代になりました。もちろん、地域間格差や施設間格差といった問題はありますが、ほとんど無料で高度な医療が受けられることは非常にありがたいことです。でも、例えば年齢や仕事の有無などによって、透析の条件に差をつけたらどうかという考え方も一部にあることを知り、ちょっと危機感を感じています。医療にも財源の問題がある以上、透析にかかる予算も青天井というわけにいかないのは当然ですが、だからと言って、年齢や性別や職業によって、「あなたは、こういう透析を受けるべき」 なんて決めつけををするのは、突き詰めていくと “命の選別” にも繋がる怖いことだと思うんですけど、、、。皆さんは、どうお思いになられますかにほんブログ村 応援クリック、いつもありがとうございます★ →ブログランキング 今後とも、ヨロシクお願いいたします★ →